カテゴリー「本読んだよ。」の11件の記事

2011年6月 3日 (金)

「100,000年後の安全」をレヴューしてみた

先日見た映画「100,000年後の安全」(http://www.uplink.co.jp/100000/)の感想をチラッと。

 これは、フィンランドで建設中の放射性廃棄物の永久地層処分場についてのドキュメンタリー。美しい映像や音楽をバックに、このプロジェクトの関係者へのインタビューなどが紹介される。

 この計画は、原子力発電によって発生した放射性廃棄物を、無害な状態になるまで要塞のような地下貯蔵施設に埋蔵して閉じ込めておく、というもの。こう書くとそんなに難しい話でもなさそうに聞こえるかもしれないが、貯蔵される放射性廃棄物が無害になるまでの期間はおよそ10万年。「オンカロ」と呼ばれる埋蔵施設は、10万年後まで地中深くに残ることを目的として建設されているのである。

 この映画を見て観客がまず考えさせられるのは、「10万年」という圧倒的な時間の長さである。イエスが十字架にかけられてから現在まで2000年ぐらい。現在から10万年遡れば、人類の祖先は、まだネアンデルタール人の段階。人間の歴史のスパンで見ても、あまりに桁が違う。10万年後まで何の問題もなく地中に埋めておくということは果たして可能なのか。

 この計画は、もちろん国の承認を経ているのだが、これまで世界中で決定された政策で、「10万年後」のことまで考えて決められたことなど、たぶん、いや間違いなく、ない。なんでこんな計画が実行されてしまうんだろうか。よくわからない。

 計画への疑問は絶えない。10万年も壊れずに残る建造物を作ること自体が可能なのか。天変地異による影響は大丈夫なのか。そもそも10万年後まで人類は存在するのか。今とは異なった姿の「人類のようなもの」がいるのかもしれない。彼らは地中に埋められた施設の存在に気づいてしまわないだろうか。10万年後の人類に誤ってこの場所を開けないように示すことは可能なのか。その際に放射能の危険を示す文字や標識は効果をなすか。危険だと伝えることができても、好奇心をおさえられないものはやはり施設を掘り返すかもしれない……

 全てが推測の域を出ないが、10万年の間に何があるか予測の限界を超えている以上、可能性は無限だ。その問いは、単に技術的な話だけではなく、哲学的ともいえる深遠なところまでたどり着いてしまう(インタビューを受けていた関係者の中に神学の研究者もいた)。

 個人的にはこの映画を実際に見てから、この映画について思い違いというか勘違いをしていたことに、二つ気づいたことがある。

 一つは、これは「原発についての映画」ではないということだ。もちろん、広い意味では原発(というか原子力)に関するものではあるのだが、焦点は「放射性廃棄物をどうするか」「この計画の是非について考える」ということ。

 本編の中で出てきたインタビューの言葉で印象的だったのは、(うろおぼえだけど)「原発に賛成だろうが反対だろうが考えないといけない問題」というもの。現在、地球上には放射性廃棄物が20万から30万トンあり、その処理は誰かが何らかの方法で必ずやらないといけない。実際問題として、何とかしないといけないのだ。「賛成」あるいは「反対」と口にすることで、思考停止していればいいわけではない。これは空想上の話ではない。

 もうひとつ気づいたことは、(上記とも少し関連するが)この映画は「原発の危険性を告発する」とか「原発反対」とかいうメッセージを観客に伝える類の映画ではないということだ。むしろ、このような計画があるということを示した上で、是非については観客ひとりひとりが考え、判断することを促しているような気がした。

 たとえば、細部の話で恐縮だが、個人的になるほどと思ったことが一つある。それは映画の序盤で、KraftwerkのRadioactivityという曲が流れていたことについて。

 (前に反原発ソングを紹介したときにも書いたが)、この曲にはバージョンがいくつかある。この曲が発表された当初は、放射能についてあまり中身のないことを歌った、無機質な曲として登場したが、チェルノブイリ事故などが起きて原発問題に対する関心が高まるのと合わせて、「Stop Radioactivity」などの歌詞が追加された反原子力ソングとしてアレンジされた。劇中で流れていたのは、初期のバージョンで、原発に否定的なメッセージは特に込められていない方だった。あえてこちらのバージョンを流したのは、映画全体で「反-原子力」といったメッセージを押し出したくなかったからだろう。そこに制作の意図を感じた。

 もちろん、そうだからといって原子力の現状を肯定しているわけでもない。原発を使い続ければ、こうした処理に困る「核のゴミ」が出続けるのは明白だし、この埋蔵計画はあまりに無責任という印象はいなめない(誰も責任を取れないし、うまくいく保証がないのだから)。それを手放しで「賛成」とは誰にも言えないだろう(裸の王様と対峙した素直な子どもだったら、「そんなの無理じゃないか」と叫ぶところだろう)。

 この映画を見て、そんなことを感じた。

 これはフィンランドが舞台となった話だが、使用済み核燃料の処理に困っているのは日本でも変わらない。たとえば北海道の幌延(稚内の近く)では、高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設が目論まれた過去があり、現在は「放射性廃棄物は実際に持ち込まない」「研究後は穴を埋め立てる」などの協定のもとに、深地層研究施設が幌延の町に建てられている(処分場の誘致に反対している人々は、「なし崩し的に処分場が作られてしまうのではないか」と危惧している)。

参考→幌延町 幌延深地層研究センター【概要】 

    朝日新聞「防災を問う」第2部 原発 (幌延の話を取り上げている)

 放射性廃棄物の処理をどう考えるのか、というのは原子力の問題をどういう立場を取るのかを考える上でも、避けては通れない問題だろう。まず現実を感じるために、多くの人に見てもらいたいと思える映画だった。

(↑なんかカッコつけたこと書いちゃったけど、映像がすごくキレイでそれだけでも見る価値ありなんじゃないかなぁと個人的には思った。以上)

☆おまけ

札幌では、狸小路にあるシアターキノで上映中で、来週火曜日までやってるそうです金曜日(10日)まで延長したとのこと→一日ニ回上映。時間のある人はどうぞ。

シアターキノ  http://theaterkino.net/

公式サイト http://www.uplink.co.jp/100000/

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年5月30日 (月)

「都市型狩猟採集生活」とはなんぞや!

 年末の、かなり元気なかったときに読んだ本のレヴューをいまさらしてみるトゥデイ。

ゼロから始める都市型狩猟採集生活 Book ゼロから始める都市型狩猟採集生活

著者:坂口 恭平
販売元:太田出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 一般的に路上生活者・ホームレスと呼ばれる人々の生活様式に着目することで、僕らが当たり前と見なすやり方とは全く違うスタイルで、ほとんど(あるいは全く)金を使わずに、豊かな生活を送る知恵について考察している本。

 著者の坂口は、都市においてゴミと見なされる剰余物の中から必要なものを獲得したり、無料提供されるサービスをうまく享受する実践例を紹介している。彼によれば、それらはゴミなどでは決してなく、(海の幸、山の幸になぞらえて)「都市の幸」と呼ぶべきものであるという。

 そこでは、衣服・食料の見つけ方から、家の作り方、住み方、そしてそうした生活の哲学まで披露されている。そこにあるのは、単純に「ホームレス=悲惨な路上生活」などと、ひとくくりにすることは出来ないような、豊かな生活の実践である。生活のための知恵と工夫とが、そこには詰め込まれているのである。

 坂口自身がこうした生活に強い関心を持つ根底には、人間にとってのシンプルな暮らしとはいかにあるべきか、ということを追求する態度がある。現代の社会は、必要以上の供給を前提に、サービスやインフラが整備されており、しかもインフラなどの中身はブラックボックス化されている。

 しかし、人間の生活の根源を維持するためには、必要な物の量を知り、自分の身の丈に合わせて生活を作る方が合理的である。その点で、都市型狩猟採集生活は、必要最小限のものを適切に入手し、利用するサイクルを形成しているという点で、実に合理的であり、また環境負荷も少ない。DIYの喜びもある。

 こうした指摘は、決してこの生活を実践する一部のひとだけの問題ではない。今回の震災は、僕達の生活を支えるエネルギー供給・消費をどう考えるか、といった問題を(原発事故を中心にして)はっきりと突きつけている。水道や電気(あるいはコンビニのような24時間営業店舗)を、「いつでも・どこでも・いくらでも利用出来る状態」にすることで、どれだけのコストが支払われているのか、あるいはその是非について、僕たちはもっと自覚的になるべきなのではないだろうか。その際に、ここで述べられている実践は(そのまま模倣するというのではないにせよ)示唆深いものがあると思う。

 ところで、上記のような生活を興味深いものであるのは確かだが、その難点について批判されることも不可避だろう。路上の生活はなんといっても不安定であるし、健康上の保障はない。この本に出てくる「都市型狩猟採集民」の面々は、ある種の才能に恵まれているがゆえに、こうした生活が持続できているし、東京という街の環境も他の地方都市と比べて有利な面もある。そのため、ここで報告されている実践だけでは「誰でもできる」と一般化することはとてもできない。 また、こうした報告が、貧困問題から目を逸らしたい人間にとって、有利な証拠として作用してしまう可能性も否定しがたいだろうそういうろくでもない考え方をするやつは多いし)

とはいえ、本書の提起するスタイル自体は、そうした批判を補ってあまりあるものなんではないか、と思ったりして取り上げてみた。うんw

※おまけ

ちなみに、著者の坂口氏は最近、熊本で「新政府の樹立」を宣言して、「初代総理大臣」を勝手に名乗っているそうであるw 「ゼロセンター」なる家に住みながら、震災の被災者の受け入れなどをしているとのこと。細かいことは僕もよくしらないけどw、興味ある人は、下のHPやツイッター@zhtssをフォローしてみるといいかも。

坂口恭平公式HP ゼロ円ハウス http://www.0yenhouse.com/

※おまけ その2

今度の週末、札幌で坂口氏のトークイベントがあるとのこと。詳細は以下の通り。

場所:札幌市中央区 南7条西4-2-5 LC七番館1F 「湯ん」

入場料:1000円

時間20時半開場。21時開始予定。

要予約→09095218932 desnos911@gmail.com (松岡)

http://des-nos.com/?p=56

興味ある人はぜひ。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2010年8月24日 (火)

就活と、就活デモのことをかんがえるための本

 かなーり前に東京で就活くたばれデモをやったとき、使ってたMLで流したメールで、参考になりそうな本を色々載せたものがあった。で、せっかくなので、今更ながらここに載せておこうと思った(微妙に加筆・修正してある)。内容は「就活と、就活デモのことを考える上で参考になりそうな本」。ここに載ってる本を色々読んでくれたら、僕がデモをした理由も少しは分かってもらえるんじゃないかしら。

 まずは雇用システムとか、そういう事について考える本から…

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) Book 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

著者:城 繁幸
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書) Book 3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)

著者:城 繁幸
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 いわずと知れた氏の著作。「日本型雇用」が現在の社会の中でどのような弊害を生んでいるかについて書いている。やや誇張されている感もあるけれど、年功序列・終身雇用の問題点について知るためにはとりあえずいいかも。

 ただ、個人的にはこの人の考え方はあまり好きではなくて、「3年で辞めた~」の方は、「竹中・小泉式の新自由主義プロパガンダか」と思うような記述も多々あり。
 この人は、若者の見方のフリをして「フェアな競争を」(若者にも均等のチャンスを)と主張しているのだけれど、それだけで話が終わってしまうと(社会保障などに関する話が出てこないと)、絶え間ない競争社会になって、結局生きづらくなるだけなんじゃないかと思う。僕のモットーは「ダメ人間でも生きられる社会を」なので、ちょっと相容れないところがあるのは確か。 
 

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書) Book 反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

著者:湯浅 誠
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


格差社会―何が問題なのか (岩波新書) Book 格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

著者:橘木 俊詔
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 数年前からメディアなどでよく使われるようになった、「格差」「貧困」といった概念について、何が問題なのか、本当に格差や貧困は広がっているのか、といったことについてデータなどを取り上げ解説しており、こうした問題について知るための入門書として非常にとっつきやすい本。
 野宿者の自立支援活動に関わっている湯浅氏は、個人が持っている精神的・経済的余裕のことを「溜め」と表現し、それが人によって異なるために同じ出来事に遭遇しても一気に転落してしまう人とそうではない人がいることを説明しているが、これは就活においても、同じ問題が潜んでいると僕は確信している。ちなみに、このブログではあんまり書いたことないけど、僕が雇用やら福祉のことやらに問題意識を持つようになったのは、僕が関わっている野宿者支援活動が背景にある

 小泉・竹中式の「構造改革」がこの国に何をもたらしたのか、その流れはどこから始まっているのか、そうしたことも見えてくるはず。社会保障や貧困系の本は、岩波新書からたくさん出版されていて、「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果)や「生活保障」(宮本太郎)、「生き方の不平等」(白波瀬佐和子)なども読むとよいかも。

就活のバカヤロー (光文社新書) Book 就活のバカヤロー (光文社新書)

著者:大沢 仁,石渡 嶺司
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ウワサの石渡氏の本w
 学生・大学・企業・就職情報会社、それぞれのプレイヤーが「就職活動」のあり方にいかに踊らされているか、就職活動がいかに問題点を抱えた茶番に成り果 てているか、ということを提起した画期的な本。なんだか学生をバカにしたような部分があって、「それは違うんじゃねーの」と思う部分もあるんだけど、就活 について考えるためには、とりあえず読んだ方がいい。

 で、この辺からやや方向転換して「社会運動を起こすこと」について考えてみるような本を…

 
貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法 Book 貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法

著者:松本 哉
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


はじめてのDIY 何でもお金で買えると思うなよ! (P-Vine BOOks) Book はじめてのDIY 何でもお金で買えると思うなよ! (P-Vine BOOks)

著者:毛利嘉孝
販売元:ブルース・インターアクションズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する


ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス) Book ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)

著者:毛利 嘉孝
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 上から順にいこう。松本哉(はじめ)氏は、東京・高円寺にあるリサイクルショップ屋「素人の乱」の店主で、非常にユニークなスタイルのデモや運動(?)を繰り広げている台風の目のような存在。路上で鍋をするだとか、貧乏人の解放区を作り出すために選挙に出馬して合法的に騒ぐとか…とにかく破天荒な生き方に、価値観を広げられることうけあい。個人的には、この本が出てすぐに購入し、「知人・親戚に配ってまわりたい!」と思うぐらい感銘(?)を受けたヒット作だった(実際に配ったら、たぶん大顰蹙を買うw)。
 この本については、また別のエントリーで取り上げようかなと思う。本当に面白いので、死ぬまでに読んだほうがいい。ちなみに北大の図書館(北分館)にはなぜか3冊も置いてある。グッジョブすぎるww

 で、次。毛利嘉孝氏は、東京芸大の准教授で、文化と政治の融合などについて研究している。いわゆる「カルチュラル・スタディーズ」の研究者。新しい運動の様子を紹介したり、そうした運動の流れをパンクやレイヴなどの文化的な歴史を通して解説している。
 「はじめてのDiY」は単行本化もされているけれど、もともとはネット上のサイトに連載されていたのものなので、ほとんど同じものがネット上でも見れる(書籍の方が、内容がまとまってて分かりやすいし読みやすいので買うことをオススメ)。これも「価値観変わる」系の本。
はじめてのDiY http://blog.fujitv.co.jp/takeshi_diy/M200604.html

 また、「ストリートの思想」とは、「文化」「政治」「思想」の融合したある新しい形の「運動=政治」のこと。そうした運動が生まれた背景には、資本主義の浸透(進行)を前提とした社会やメディアの「スペクタクル化」があるのだが、実は「大学の就職予備校化(≒政治的ラディカルさの後退)」もその流れに沿ったものだというのは、就活を考える上でのポイントでもあるはず。
 これは上の二つよりも硬派で、比較的読み応えがある。

 三冊とも、既存の左翼系運動や政治運動とは一線を画す形で生まれた、新しい形の「運動」の動向を知るためにの最良の本だと思われる。

フリーター労組の生存ハンドブック―つながる、変える、世界をつくる Book フリーター労組の生存ハンドブック―つながる、変える、世界をつくる

著者:清水 直子,園 良太
販売元:大月書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 東京で活躍するフリーター全般労組(個人でも加入できるユニオン)の方が編集した本。前半は労働法に関する知識や、社会保険や労災、労働組合などの利用の仕方が書いてあり、後半では社会の矛盾に立ち向かうために、仲間を集め、行動を起こす非常に実践的な話が書いてある。

 この本のキャッチコピーは死ぬな、読め!というもので、社会のあり方に絶望して死んじゃう前にやることがあるよと教えてくれる。僕も札幌でデモをする際に参考にした、とても便利な本。行動を起こす人にも、起こさない人にも、これを読んで色々考えて欲しいと思う。

フランス ジュネスの反乱―主張し行動する若者たち Book フランス ジュネスの反乱―主張し行動する若者たち

著者:山本 三春
販売元:大月書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2006年と2007年、フランス全土で起こった暴動と、政府の方針へ反対する運動の顛末を記録したノンフィクション。問題の火種は、政府が提出した若者に対する不安定雇用法案(CPE)。これが可決されてしまうと、若者はいっそうの不安定な生活を強いられるということで、大学生を中心に全国的な反対運動が起こった。フランスでは若者の失業率が非常に高く、その解決策(全然、解決策になってない)として細切れの不安定雇用(プレカリテ)を押し付けれらそうになったために、怒りが爆発したということ。

 これを読んで僕はけっこう感動したのだけど、フランスでは若者が抗議行動としてターミナル駅の線路上に200人ぐらいで座り込みをして電車を不通にしたり、道路を通行止めにして車を揺さぶったりしても、駅にいた乗客やドライバーは「こんなに若者を怒らせる政府が悪い」と考えて、若者たちの行動を責めたりしないらしい。挙句、警察に線路を占拠した若者が駅から退去されられるときには、駅にいた人たちが彼(彼女)らを拍手で見送ったとか。

 まったく日本なんかにいると、「社会のあり方や政府に盾突く=人に迷惑をかける困ったちゃん」みたいに捉えられるようなふしがあるけれど、このフランスの若者の毅然とした態度を見れば、実は日本がうんこみたいなろくでもない国だということがよく分かる。行動を起こして異議申し立てをするのは、民主主義が認められている国だったら正当な権利行使なのだ。

 日本における政治運動に対する理解のなさを再考するためにも参考になるし、読み物としても面白かった。買うと高いので、大学の図書館にでも買わせるのがベストですなw(ちなみに北大の図書館には置いてある)

 とまぁ、色々雑多な(しかし偏った)本を紹介したのだけど、参考になりそうな本はまだまだ山ほどある。BI(ベーシックインカム)の本とかね。もしほかにオススメの本などあればぜひ教えていただけると、とてもありがたい。

 僕も大して読書量が多くないので、こういう紹介をする時は、読んでる本がどんなもんかバレてしまって困るのだけど、それでも少しぐらい読書してれば、いかに今の就活がおかしくて、それについて誰も表立って反対しない今の日本の現状がいかにおかしいかといことが分かる。逆に言うと、今の就活の現状についていっさい問題意識がない学生っていうのは、単なるバカなんじゃないかと思う(こういう乱暴な言い方はあんまりしないようにしてるんだけど、それにしたって就活を全力で肯定する学生はおかしいと思う。ちなみに問題意識があっても、行動しない人を責める気はない)

 それから、紹介したいけど(めんどくさいなどの深刻な理由により)紹介できていない本もあるので、また機会があれば色々載せたい。

 ちなみに、僕がダントツでオススメしたい本田由紀著「軋む社会」は、いま手元になくて、うまく紹介できるか分からないので、また今度エントリー書くことにする。いや、ホントにいい本なんだけどね。なんで家にないんだろ…w

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年3月 1日 (月)

フェミニズムってなんだろう---『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ Book 東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

著者:遙 洋子
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 非常に面白い本だった。これは、フェミニズムや、その旗手である上野千鶴子についての興味や、学習のきっかけを与えてくれる軽快なエッセイである。

 本書は、タレントの遥洋子が、「ケンカの仕方を学ぶため」に、東大に通い、上野千鶴子の授業に参加し続けた話を中心に書かれている。「ケンカ」というのは、要するに議論のことで、ジェンダーやフェミニズムに関する議論をするとき、どうしても「男」に負けてしまう遥は、その悔しさを抱えて、上野の元を訪ねる。
 (こう言っちゃなんだけど)遥は聞いたこともないような短大を卒業したのみで、アカデミックな勉強に慣れているとは言えないような人物。しかもテレビ業界という、「俗」の代表であるところ(セクハラなどが日常的にあるよう)からの「まねかれざる客人」でもある。

 だから、東大という場所の「別世界」ぶりに戸惑う。しかも、上野は「門外漢(女?)」である遥にも容赦しない。ダンボール一箱分はあろうかという文献を平然と読ませる。 しかし、その彼女が、その「俗世間」の代表として大学(しかも東大)という場所を観察し、見えた様子を描写していく様は、大学という空間に当たり前にいる人間には見えないものを見せてくれる。それは、人類学者という「他者」が、フィールドワークに出かけ、参与観察をする姿とどこか似ている。つまり「よそ者」の目だ。

 やがて遥は、猛勉強を重ね、要求された文献の三倍近い読書をこなす(これが本当にすごいと思う)。だから、後半の方は、段々とフェミニズム的な考察も増えてきて、前半のような素朴さが消えてしまうので、残念といえば残念だが、その成長振りは思わず舌を巻いてしまうほどだ(もちろん僕なんか足元にも及ばない)。

 これを読んだ後、思わず「うーん、上野千鶴子はカッコイイなぁ」とうなってしまった。だから冒頭でも書いたけど、上野という人間を通してフェミニズムというものに興味が沸くというのが、この本のすごいところだ。文章も面白い。文庫版も出てます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 2日 (火)

一人称を貫く森達也――『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う Book 死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

著者:森達也
販売元:朝日出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 かつてオウム真理教のドキュメンタリーを作成した森は、オウムの起した一連の事件に関わっていた元信者達が次々と死刑判決を受け、「確定死刑囚」となっていく現実に直面し、死刑について考えざるをえなくなる。そこで、死刑を取り巻く状況や、それに関わる人たちへの取材を通して、死刑という重要なテーマについて考察する。

 取材の対象は、死刑廃止を唱える政治家、教誨師、元検察官、元死刑囚(不思議な表現だが、こういう人も実際に存在する)、死刑をテーマにした漫画の作者、家族を殺された遺族など多岐にわたる。取材は3年以上を費やしたという。

 そこから、見えてくることことは、一つにこの日本と言う国では死刑という制度が圧倒的に不可視の状況に置かれているということである。一般市民にとって、死刑という制度とその周縁にあるものは、ブラックボックスに包まれており、それを詳細を知ることは非常に難しい。それはメディアも同様である。そのため、死刑に関する十分な議論が尽くされているとは言い難い状況で、「存置」「廃止」といった感情論で世論が決まっているような感覚がある。例えば、「死刑執行後に冤罪が証明された場合の補償の上限額は三千万円」(刑事補償法第四条)などということを知っている人がどれだけいるだろうか?

 そして、こうした取材の後、森が達する結論は、非常に主観的な廃止論である。といっても、それは単純な「死刑なんかいけないよね」というレベルの話では当然ない。むしろ、あらゆる論理的な議論を考慮したうえで、「でも僕は自分の知っている人間には死んで欲しくない」と「情感」に基づいて出した結論なのである。

 人によっては、これを感情論への逃避と考えるかもしれないが、しかしこれは森自身のある種の「誠実さ」の表れだと僕は思う。抽象的な三人称複数(「われわれ」)に頼らず、一人称(私)を重視してきた彼が、重大事件の加害者でもなく、被害者でもないという事実の前に立ったときに、死刑について声高に喋れることはないという結論が出てくるのは自然であろう。
 
 ということで、森の、よく言えば実直で正直な、悪く言えば優柔不断で踏ん切りのつかないような態度がよく表われている著作。死刑について考えるきっかけとしては入門書のような感じで読めばいいのかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月27日 (日)

社会の潔癖症に対する異議申し立て----『突破者』

突破者〈上〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年 (新潮文庫) Book 突破者〈上〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年 (新潮文庫)

著者:宮崎 学
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

突破者〈下〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年 (新潮文庫) Book 突破者〈下〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年 (新潮文庫)

著者:宮崎 学
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 京都を仕切るヤクザ寺中組組長の次男坊として生まれた宮崎学の人生を、戦後の日本の歴史と合わせて綴っているノンフィクション。戦後まもなく生まれた宮崎は、組の「ぼん」(「坊=おぼっちゃん」)として育てられる。「ぼん」などと言えば、育ちの良さそうな印象を与えるが、暴力団の「ぼん」である以上は、その経歴は生易しいものではない。

 小・中・高校とケンカ三昧、大学に入ってからは民青(共産党)系の学生運動グループを引っ張って大暴れする。そして、大学を辞めてからは(中退する)、実家の建設会社を仕切る事になり、そこでも「突破な」(無茶な、突っ張った)日々を過ごす事になる。

 サブタイトルにもあるように、この本には戦後から現代までの日本の歴史で、ともすると見過ごされてきた社会の「裏の歴史」が生き生きと描かれている。それは言うなれば、「暗部で辿る日本現代史」とでもいえそうな、破天荒な物語でもある。本書で描かれている内容の多くは犯罪行為である。高校時代のケンカや、大学生時代のゲバルト活動、、地上げや闇の取引など…。しかし、そうした無秩序にも見える振る舞いの中にも、一定の合理性や行動原理があり、またそうした犯罪行為を行わざるを得ないような状況が多分にあることを示している。また、そうした行為を是とはしないまでも受け容れる「社会の懐の広さ」のようなものが感じられる。

 宮崎自身が、あとがきで本書を執筆したきっかけの一つとして触れているので、ここで強調するまでも無いが、現代の日本社会はきわめて「潔癖症的になってきている」というのが彼の持論である。本編最後の第14章「葬られてたまるか」には、そうした筆者の価値観がよく表われていて、もっとも読み応えが合った。彼は、自身の出自でもあるヤクザや土木建設業界などを異端視するようになった最近の「世間」の様子を指してこう書いている。

「誰もが大樹の陰の中で多数派形成ゲームに狂奔し、「正論」を主張する。その挙句に多数派のマスの内部で取るに足らない差異を見つけだして叩き、排除する。それをマスコミが煽るだけ煽る。まさに「パフォーマンス文化」に思えた。これが戦後民主主義の行き着くところであったのだろうが、まったく馬鹿馬鹿しい社会になってしまったもんだ、というのが私の率直な感想だった。第一、多数派しか存在しない社会などというのは、そもそも社会の体をなしていないと思うのだ」(下巻 P.220)

 社会の「エリートコース」を渡ってきた本当の「ぼん」(おぼっちゃん)には分からない世界が、ここには確実にある。非常に面白い本である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月13日 (日)

「格差社会--何が問題なのか」橘木俊詔

格差社会―何が問題なのか (岩波新書) Book 格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

著者:橘木 俊詔
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 実家に置いてあったので、勝手に札幌に持ってきた本。

 小泉内閣による「構造改革」に対して、「格差が広がることは社会にとってマイナスだ」とNOを突きつけた一冊。

 著者によると、格差の拡大は、必ずしも小泉による「構造改革」のみが原因ではなく、それ以前にもさかのぼることが出来る。しかし、「構造改革」がそれを是正するのではなく、むしろ推進していたということに対して、国民はどう考えるのか、そのような社会がそこに住む人にとって果たして望ましいのか、ということについて考察している。

 それによれば、格差の拡大は決して個人の問題ではなく、階層固定化の問題や、労働力の不活用など、様々な問題を孕んでいる。特に貧困者の増大は、決して放置していい問題ではないと説いている。

 要するに、「格差があって何が悪い?」に対する反論。
 これが改革旋風吹き荒れる2006年に出版された意義は大きいだろう。

 文章が非常に読みやすいので、「自己責任論」を信奉する人にはぜひ一度読んでみてほしいところである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年12月12日 (土)

「絶対貧困」石井光太

絶対貧困 Book 絶対貧困

著者:石井光太
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この本はいわゆる「途上国」の貧困について書いている。

 本編は、スラム編、路上生活編、売春編と分かれていて、ノンフィクションライターとして現地で衣食住をともにしてきた著者の個人的な経験などを交えて書かれている。

 多くの人が指摘していることではあるだろうけれど、この本の素晴らしいところは、その貧困状態にある人々の描き方である。具体的には、それを「貧困」という言葉から連想するような「悲惨さ」一色に留めず、そこで生きる人々のたくましさや喜びを生き生きと描いているということである。つまり、人間が生きていれば、そこにどんな形にせよ人間的な感情があるはずで、経済的な格差(南北問題など)を前提に語られる「発展途上国の飢餓」や「感染病」などのみがそこに生きる人々の全てではない、という当たり前のことを、しかし等身大の人間として飾らずに書いているのである。

 ただし、だからといって、「途上国」の置かれている現状がそのままでいいということは決してなく、それは改善すべき問題点を無数に含んでいるし、実際に目を覆いたくなるような話がいくらでも載っている。ちょっと旅行に行ったぐらいじゃ見えない話がわんさかあって興味深いが、おそろしくもある。

 ちなみに、この本に関して、僕が指摘したい問題点は、こうした「途上国」の絶対貧困を見すぎているせいか、むしろ日本などの「先進国」における貧困の問題について、どこか軽いものと考えているようなところがある。曽野綾子などは典型だが、こうした「途上国」のリアルを知っている人は、そういう見方をする嫌いがある。

 もちろん、露骨に「日本は豊かでいいよね」などというわけではないが、「日本のホームレス」や「日本人の売春婦(風俗業従事者)」のことをそこまで問題であるとは見なしていないように読み取れる箇所があった。当事者の置かれている悲惨さには客観的指標など意味を持たないと思うのだけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 8日 (火)

「資本主義後の世界のために」デヴィッド・グレーバー

資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座) Book 資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座)

著者:デヴィッド グレーバー
販売元:以文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 グローバル・ジャスティス・ムーブメントに携わっている理論家で、「アナーキスト人類学者」を自称するデヴィッド・グレーバーと、同じくアナーキズムに精通している高祖岩三郎による編著で、高祖による、グレーバーへのインタビューが主な内容となっている。

 グレーバーは、資本主義が破綻しかかっている現在の社会のオルタナティヴとしてアナーキズムに注目している。一般的には、「国家がなければ人々は生活できない」と思われているところがあるが、彼はその考えをさらりと否定してみせる。

 彼によれば、共産主義やアナーキズムは、未来において達成すべきものとしてのみあるのではなく、かなりの部分現在の社会においても既に存在している普遍的なものであるという。そのヒントに彼は、人類学者の大家であるマルセル・モースの思想について言及する。

 「贈与論」で有名なモースは、共産主義を「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る社会」と定義する。人間の思考と言うのは必ずしも、両者の損得の勘定のみを至上とするわけではない。見返りを求めない(もしくは厳密な勘定計算をしない)他者への行為というのは普遍的なものである。これは誰もが、理解できるところだろう。そして、私的な所有・権利・利益などに還元されえない人間の行動様式は、全て共産主義的であるし、相互扶助を前提とする点でアナーキズム的でもあるという。

 資本主義は、一見、私的領域の拡大ゲームに人間を陥れているかのように見えるが、その前提となっている相互扶助的な思考には、必ずしも食い込めていない。そのため、グレーバーによれば、現代の資本主義というのは、アナーキズムなどを隠蔽し、その上に寄生する「もっともみじめな方法」に過ぎないのだと喝破する。

 とまぁ分かるような分からないような文章が多く、しかも人類学的な知見に富んでいるだけあって、一度読んだだけではしっかりとは分からなかった部分が多い(特に後半)。ただし、ジョン・ホロウェイの主張を引用して、

「人がこの世界で活動家になったり活動したりするのは、その人が「理論」を持っているからではない。人は抵抗の「叫び」から出発する」

と書いてある部分にはとても共感した。全くいいこと言うね。

 中身が濃いので、何度か読み返してみたい本。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月19日 (日)

大麻について知るための三冊。

今回は大麻について取り上げた本を何冊か紹介する。厚労省の発信する似非知識にまどわされないためにも、こうした知識は必要であるので、参考にしてほしい。

大麻入門 (幻冬舎新書) Book 大麻入門 (幻冬舎新書)

著者:長吉 秀夫
販売元:幻冬舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

始めにとりあげるのは、今年の初めに出版された幻冬舎新書の本書。日本では「有害な麻薬」として認識されている大麻が、実は吸引などの使用をしても大きな害はないということや、繊維素材として日本の歴史と縁深いこと、また医療やバイオエネルギーなど様々な用途で有用な植物であるということを明らかにしている。

大麻取締法成立に関する歴史的な経緯も述べられているので、タイトル通り「入門」としてふさわしいかもしれない。

特に海外での「ハームリダクション」についての記述が載っていることが素晴らしい。ハームリダクションとは、社会で生活する個人が、社会的な被害を受けないで済むためにはどのような方法が有効かを考えて、対策をとるという概念である。

例えば海外(欧米)で大麻の取り締まりがゆるいのは、「大麻使用や所持によってもたらされる害よりも、大麻所持などで逮捕されることによって生じる社会的な被害の方が大きい」という判断による。大麻の所持などで逮捕されてしまえば、何の社会的な問題も起こさずに生活していた個人の人生を破綻させてしまう可能性が高いからである(日本の大麻取締法はその点で対照的である)。他にも、ヘロインを使用するものが一定数いることを考慮して、繁華街で注射針を配って(回し打ちによる)感染症を防ぐ方法などもある。

日本では、避妊や性感染症を防ぐための方法を学校で教える性教育がこれにあたる。これについて、「寝たことを起こすようなことをするな」と反対する意見もあるが、実際に性行為に及ぶ高校生などが一定数いることを考慮すれば効果的な対策といえる。

日本におけるドラッグ対策は、基本的に「ドラッグをやるとこんなに危険なことがある。とにかくドラッグには手を出すな!ダメ・ゼッタイ」というように、恐怖を煽って遠ざけるという手法だが、これは実は実際に手を出してしまう人間が被る害のことを考えていないという意味で子供だましに近い。言うなれば「未成年でセックスをすると頭がおかしくなる」と吹き込むのと同じくらい愚かな政策なのだといえる。

ちなみに、「大麻の『麻』は麻薬の『麻』である。だから大麻は麻薬なのだ」という言説に対して、元々は麻薬の「麻」の字は、やまいだれに「林」という字をあわせた「痲」(「しびれる」という字。おそらく「麻痺」の「麻」の字はこの字だったはず)を使っていたが、1949年に定められた当用漢字のルールに沿って「麻薬」と表記されるようになったのであって、基本的には全く別の字であると書いているのは興味深かった。

大麻ヒステリー (光文社新書) Book 大麻ヒステリー (光文社新書)

著者:武田邦彦
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』『偽善エコロジー』などが売れている著者の近著。これもごく最近出版されたばかり(2009年6月)

科学的見地から大麻を取り巻く日本の状況について異を唱えている。主な内容は、大麻取締法が成立することになったきっかけや科学的なデータの紹介、大麻と日本人の歴史などで、多くの内容は『大麻入門』と重複しているので、この本も大麻の入門書としていいかもしれない(ただ、個人的には『大麻入門』の方がオススメ)。

また、大麻取締法がかなり非合理的な法律であることをマスコミや司法が正さないのは殆んど職務怠慢であると言及していることは共感を持てた。

ただ、個人的には武田氏のまわりくどい文体や妙な知識をひけらかすような書き方がうっとおしく、あまり好きではない。特に「日本の美しい伝統・文化としての大麻」のような大麻の恣意的な位置づけについては、あまり共感できなかった。大麻取締法がアメリカ(GHQ)による押し付けの結果として成立したことに対する反感からか、大麻擁護論者の中には、ナショナリスティックな意識が見られることは注意を要する(中山康直氏など)。

マリファナ青春旅行〈上〉アジア・中近東編 (幻冬舎アウトロー文庫) Book マリファナ青春旅行〈上〉アジア・中近東編 (幻冬舎アウトロー文庫)

著者:麻枝 光一
販売元:幻冬舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

日本発の大麻グッズ専門店である「大麻堂」店主である「麻枝光一」(本名:前田耕一)氏の若かりし日の旅行記。

内容は簡単に言うと、世界中(アジア、中東、北アフリカ、南米アメリカ大陸)を旅行し、そして行く先々でマリファナをはじめとする様々なドラッグを試した体験記。時代はかつてバックパッカーが流行した80年代ごろのようである。

麻枝氏が愛用するのは大麻(マリファナ及びハシシュ)であるが、その他にもアヘン、ヘロイン、コカイン、マジックマッシュルーム、LSD、スピード、幻覚サボテンなど、ともかくその地で出会う様々なドラッグを使用してみる。そしてそれぞれのドラッグがどのような効果をもたらすのか、その様子が本書には詳しい。

この本は、元々は第三書館というかなりアウトローな(というかアナーキーな)出版社から発売された本で、現在容易に入手できるのは幻冬舎アウトロー文庫版である、というとなんともアウトローなイメージがあるが、かなり実用的なものであると僕は考えている。

先の『大麻入門』でも書いたが、それぞれのドラッグがどのような効果、弊害があり、もし使う場合にはどのような点に気をつけて使うべきであるといった知識は、実は実用的なものだからである。

例えば、日本の覚醒剤である「シャブ」は快感も強いが、その反動としてのフラッシュバックや妄想・禁断症状がひどいため、ドラッグ愛好家でも「シャブだけはやらない」というものがいる、という話などは非常に有用な情報であるといえる。

ちなみに、この本を読むとすごく海外旅行に行きたくなる。ちょっと異色の海外旅行記としても十分楽しんで読むことが出来る。

※※※

大麻について日本人が知るべきことは、一つにその使用が必ずしも有害ではないということ、二つに海外ではその使用や所持が厳しく罰せられる国は少ないということ、三つに医療や産業で大きな可能性を秘めたものであるということだろう。

「危険」「ダメ・ゼッタイ」だけでは何も問題は解決しないどころか、公的な情報に対する信頼性すら失ってしまうのではないだろうか(それが情報リテラシーを得る一つのきっかけになりうるのかもしれないがでもあるかもしれないが)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)