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2011年6月 3日 (金)

「100,000年後の安全」をレヴューしてみた

先日見た映画「100,000年後の安全」(http://www.uplink.co.jp/100000/)の感想をチラッと。

 これは、フィンランドで建設中の放射性廃棄物の永久地層処分場についてのドキュメンタリー。美しい映像や音楽をバックに、このプロジェクトの関係者へのインタビューなどが紹介される。

 この計画は、原子力発電によって発生した放射性廃棄物を、無害な状態になるまで要塞のような地下貯蔵施設に埋蔵して閉じ込めておく、というもの。こう書くとそんなに難しい話でもなさそうに聞こえるかもしれないが、貯蔵される放射性廃棄物が無害になるまでの期間はおよそ10万年。「オンカロ」と呼ばれる埋蔵施設は、10万年後まで地中深くに残ることを目的として建設されているのである。

 この映画を見て観客がまず考えさせられるのは、「10万年」という圧倒的な時間の長さである。イエスが十字架にかけられてから現在まで2000年ぐらい。現在から10万年遡れば、人類の祖先は、まだネアンデルタール人の段階。人間の歴史のスパンで見ても、あまりに桁が違う。10万年後まで何の問題もなく地中に埋めておくということは果たして可能なのか。

 この計画は、もちろん国の承認を経ているのだが、これまで世界中で決定された政策で、「10万年後」のことまで考えて決められたことなど、たぶん、いや間違いなく、ない。なんでこんな計画が実行されてしまうんだろうか。よくわからない。

 計画への疑問は絶えない。10万年も壊れずに残る建造物を作ること自体が可能なのか。天変地異による影響は大丈夫なのか。そもそも10万年後まで人類は存在するのか。今とは異なった姿の「人類のようなもの」がいるのかもしれない。彼らは地中に埋められた施設の存在に気づいてしまわないだろうか。10万年後の人類に誤ってこの場所を開けないように示すことは可能なのか。その際に放射能の危険を示す文字や標識は効果をなすか。危険だと伝えることができても、好奇心をおさえられないものはやはり施設を掘り返すかもしれない……

 全てが推測の域を出ないが、10万年の間に何があるか予測の限界を超えている以上、可能性は無限だ。その問いは、単に技術的な話だけではなく、哲学的ともいえる深遠なところまでたどり着いてしまう(インタビューを受けていた関係者の中に神学の研究者もいた)。

 個人的にはこの映画を実際に見てから、この映画について思い違いというか勘違いをしていたことに、二つ気づいたことがある。

 一つは、これは「原発についての映画」ではないということだ。もちろん、広い意味では原発(というか原子力)に関するものではあるのだが、焦点は「放射性廃棄物をどうするか」「この計画の是非について考える」ということ。

 本編の中で出てきたインタビューの言葉で印象的だったのは、(うろおぼえだけど)「原発に賛成だろうが反対だろうが考えないといけない問題」というもの。現在、地球上には放射性廃棄物が20万から30万トンあり、その処理は誰かが何らかの方法で必ずやらないといけない。実際問題として、何とかしないといけないのだ。「賛成」あるいは「反対」と口にすることで、思考停止していればいいわけではない。これは空想上の話ではない。

 もうひとつ気づいたことは、(上記とも少し関連するが)この映画は「原発の危険性を告発する」とか「原発反対」とかいうメッセージを観客に伝える類の映画ではないということだ。むしろ、このような計画があるということを示した上で、是非については観客ひとりひとりが考え、判断することを促しているような気がした。

 たとえば、細部の話で恐縮だが、個人的になるほどと思ったことが一つある。それは映画の序盤で、KraftwerkのRadioactivityという曲が流れていたことについて。

 (前に反原発ソングを紹介したときにも書いたが)、この曲にはバージョンがいくつかある。この曲が発表された当初は、放射能についてあまり中身のないことを歌った、無機質な曲として登場したが、チェルノブイリ事故などが起きて原発問題に対する関心が高まるのと合わせて、「Stop Radioactivity」などの歌詞が追加された反原子力ソングとしてアレンジされた。劇中で流れていたのは、初期のバージョンで、原発に否定的なメッセージは特に込められていない方だった。あえてこちらのバージョンを流したのは、映画全体で「反-原子力」といったメッセージを押し出したくなかったからだろう。そこに制作の意図を感じた。

 もちろん、そうだからといって原子力の現状を肯定しているわけでもない。原発を使い続ければ、こうした処理に困る「核のゴミ」が出続けるのは明白だし、この埋蔵計画はあまりに無責任という印象はいなめない(誰も責任を取れないし、うまくいく保証がないのだから)。それを手放しで「賛成」とは誰にも言えないだろう(裸の王様と対峙した素直な子どもだったら、「そんなの無理じゃないか」と叫ぶところだろう)。

 この映画を見て、そんなことを感じた。

 これはフィンランドが舞台となった話だが、使用済み核燃料の処理に困っているのは日本でも変わらない。たとえば北海道の幌延(稚内の近く)では、高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設が目論まれた過去があり、現在は「放射性廃棄物は実際に持ち込まない」「研究後は穴を埋め立てる」などの協定のもとに、深地層研究施設が幌延の町に建てられている(処分場の誘致に反対している人々は、「なし崩し的に処分場が作られてしまうのではないか」と危惧している)。

参考→幌延町 幌延深地層研究センター【概要】 

    朝日新聞「防災を問う」第2部 原発 (幌延の話を取り上げている)

 放射性廃棄物の処理をどう考えるのか、というのは原子力の問題をどういう立場を取るのかを考える上でも、避けては通れない問題だろう。まず現実を感じるために、多くの人に見てもらいたいと思える映画だった。

(↑なんかカッコつけたこと書いちゃったけど、映像がすごくキレイでそれだけでも見る価値ありなんじゃないかなぁと個人的には思った。以上)

☆おまけ

札幌では、狸小路にあるシアターキノで上映中で、来週火曜日までやってるそうです金曜日(10日)まで延長したとのこと→一日ニ回上映。時間のある人はどうぞ。

シアターキノ  http://theaterkino.net/

公式サイト http://www.uplink.co.jp/100000/

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コメント

こんにちわ 札幌市在住ミュージシャンのオバサンです。
311、フクシマみて、何となく泊も止めなくちゃヤバくない?と軽く思って反原発アクションに参加、知れば知るほどSFや漫画を超えた現実に驚いている日々です。
あなたのような若い人も交えて話し合って本当にどうすべきか考えていきたいです。よかったらメールください。

投稿: sammi | 2011年7月17日 (日) 06時56分

溶岩の中に沈めちまえばいいよ。

投稿: kadoken | 2011年8月15日 (月) 22時48分

地球は45億年、現在の世界人口の一生分を総計したよりは多そうだ。

投稿: kadoken | 2011年8月15日 (月) 22時52分

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