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2010年11月12日 (金)

問題が燃え上がるとき、常に感性の火の粉が飛び散っている

 現在、就活くたばれデモの準備が着々と進んでいて、今日はデモの申請(というかデモコース調整)のために警察署に行ってきた。なんだか、去年やったときの担当者が僕のことをおぼえていて、「今の若い人は就職口なくて大変みたいだから、ガツンとアピールした方がいい」みたいなことを言われたw しかも「まぁここだけの話だから…」とか言われたので、こっそりここに載せておくw 就活くたばれデモは、警察官のウケもいいようであるw

 それはともかく…

 ここ最近、フランスでは高校生を含む若者が年金改革に反対してたり、イギリスでは学費値上げに反対する大学生たちが大規模なデモやら暴動(!)を起こしてるんだけど、日本では、ひっどい就職難(というか理不尽な就活システム)やら、ろくでもない労働環境やらがあっても、みんな大人しくしていて、これはなんなんだろうなぁと思ったりする。色んな人が指摘しているけれど、日本人は(特に若い人は)大人しい。これってなんなんだろう。今日はそのことについて、ちょっと考えてみる。

 僕がその理由、というか背景として考える事柄は(いくつもあるのだけど)、大きなものとして、感覚的な不満や疑問を口に出すことに、否定的な風潮というものがあるんじゃないか、と思う。つまり、何か不愉快な事柄や疑問があっても、それを「言っても仕方ない」として封印してしまうような感覚。

 今でこそ就活というものがはらむ問題点について、僕たちはだいぶまともな考察ができるようになってはいるけれど(たぶん前よりかはw)、就活くたばれデモを企画した当初から、就活というものの問題の所在をはっきりと見据えていたわけではない。

 

僕がデモ構想段階で考えていたのは、「就活ってなんかムカつくよね」というレベルのことだった。まわりの友人が、みんな就活のろくでもなさについて口々に言うので、「そうか、そんなにムカつくんだったら怒りをぶちまけてやろうぜ!」と思ったのだ。これがシンプルな理由。最初は、まだ就活を「問題」としても認識していなかったが、とりあえず怒りをぶちまけることにしたのだ。

 でも、こういう態度には批判が多い。就活デモについて、飛んでくるもっとも定番の批判は「代案はどうするの?(それがなきゃダメだよね)」というもの。これは、僕らが就活に関する確固とした代案を持ち合わせていないことを見るやいなや、途端に「ただのガス抜き」とか「ダダこねるガキと同じ」とか「そんなの大人は相手にしない」とかいう言葉を繋げていく。そして、そうした批判を投げかける人の心の中心にあるのは、「理性的であれ」という意識だったりする。つまり、「批判を行う以上は、冷静に理性的に分析し、問題の本質を見定め、そしてそれに対する代替案を提議しろ」という価値観。

 これを要求する、あるいは自明視しているやつらは、この国にはとてつもなく多いらしい。たぶん、僕らのデモを支持している人の中にも、「(代案はなくても)ただのワガママじゃなくて、ちゃんと考えて発言しているから、いいことだ」とか抜かす人はいると思う。「ただの感覚的な不満ではなく、理性的だから支持する」という態度。そこにある種の闇があるように思う。

 こうした態度は、「声を上げること」「行動を起こすこと」の全部じゃないと僕は思う。つまり、「理性的/冷静」に問題を分析し、提起する態度は一方で評価されるべきだけど、それ以外の「意味づけされない不満」を否定することはないんじゃないか、と

 それは理由がある。

 まず、行動しながら見えてくることがある、というのが一つ。特にデモの企画を人に話している段階で、非常に多くのことを考える機会があった。いろんな人に「就活に対する不満をぶちまけたい」(あるいは「ぶちまけてやった」)と話すと、それぞれの人がそれぞれの不満を話してくれる。それが集積されて、「不満・疑問」が「問題意識」に変わる。集まった仲間内で話している間に気付いたことも多かった。

 そして、その延長線上にあることだが、多くの人にアピールすることで、それだけ意見をもらい、考える機会が増える、ということ。たとえば、声を上げたことがメディアに取り上げられたりすれば、それについて反響がくる。その中には、僕たちの抱く疑問や不満をより上手い言葉で表現してくれる人もいるかもしれない。特に、こういう時にこそ、学者やら批評家やらのインテリさんに脳みそを稼動させてもらわないと困るわけである(あてにならない時/ヤツもたくさんいるわけだがw)。そして、そうした言葉から問題の本質や、その解決の糸口が見えてくる可能性も十分にあるのだ。

 つまり、「不満・疑問」という「感覚」は、それ自体が直接に問題を変えるというよりも、「問題意識」という芽を生やす種のようなもの、あるいは「問題意識」を燃え上がらせるための、火種・火の粉のようなものと言えるのではないだろうか。

 だから、僕はあえて言うのだけど、「こんなこと考えてもしょうがないよな」なんて言わないで、「もしかしたらこれって変えられる問題なんじゃ…」と思って、自分達の不満を口に出してみることにも大いに価値があるはずである。お利口さんになって、縮こまってもいいことないぜって話である。ウダウダ言ってないで街頭に出て、僕らのデモに参加しろってことだ。 以上!w

 


 





 (…なんていうお利口さんじみたことを書いてしまったが、感情を爆発させる・素直に表現することの最大の意義は、「たのしいから」ということに他ならない。感情を爆発させること全般は、「生産的w」でなくたっていいのだ。「ストレス発散、ガス抜き上等」である。ただ、一ついえるのは、その際に自分の体や心を痛めるよりかは、表にぶちまけてやった方がスッキリする部分はあるぜ、ということ。そして、なるべくなら人を傷つけないような形でやることが望ましい。だから、ぶちまける矛先については考える余地があるかもね。その辺は宿題。みんなも考えてね)

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就活くたばれ」カテゴリの記事

コメント

半年ほど前コメントさせてもらったくにむらです。
30年前の寮闘争の時、やはり対案(代案)を当局にぶつけるべきだという議論が少しだけありました。
攻撃を受けている我々の側が、当局の立場に立って「こうすればうまくいきますよ」と提案することの無意味さに気づいたので、この議論はすぐに収束しました。攻撃の結果として寮自治が破壊されることは明らかで、我々の運動はそれに対する異議申し立てでなければならず、相手の土俵に乗ること自体が、運動の後退を意味することに気づいたからです。
君たちの運動はまさに異議申し立てなのだと私は思っています。苛烈な就活によって学生生活が破壊されていることに大いに悲鳴をあげるべきです。
代案は学校や会社などの攻撃している側が考える責任を負っています。

投稿: くにむら | 2010年11月13日 (土) 22時10分

おいらは学生に代案を求める方がおかしいと思いますよ。だってこっちは採用のプロではないのですから。それを考えるのは企業の採用担当の仕事で、そのために給料を払っているのです。学生に求めるのは職務放棄です。

就職活動というと「採っていただく」みたいなイメージもあるけど、B2Cのビジネスだと考えるべきです。他のB2CでCに対してBがてめーら意見出せや、嫌なら文句言うなみたいな態度を取っているものってないですよね。

投稿: にーと | 2010年11月14日 (日) 01時17分

いつも楽しく読ませてもらってます。

理性的であることと、感情的であること。
面白い視点ですね。

確かに、「面白いんだからイイジャン」みたいな発想って嫌われがちな発想だと思いますが、社会性を高めれば高めるほど失われていく感覚ですよね。
社会はもっと、こういう声に敏感に反応する必要があるように感じます。

投稿: geo | 2010年11月14日 (日) 04時18分

いつも楽しく読ませてもらってます。

理性的であることと、感情的であること。
面白い視点ですね。

確かに、「面白いんだからイイジャン」みたいな発想って嫌われがちな発想だと思いますが、社会性を高めれば高めるほど失われていく感覚ですよね。
社会はもっと、こういう声に敏感に反応する必要があるように感じます。

投稿: geo | 2010年11月14日 (日) 04時18分

はじめまして!にしけいと申します!
先ほど、大手商社が採用活動を早めるみたいな
ニュースがヤフトピにありましたねー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101117-00000561-san-bus_all
やはり採用側も今の風潮にクエスチョンを持っていると思う。

リクルート社はじめ就職サイト運営会社の
前で一度デモをやってほしいです!

なんで早まっているかというと結局、これらのサイトが
企業側にも学生側にも煽っていると思います。
一回リクナビさん・マイナビさんの担当者の方と
なぜこんなに早く登録させるのか議論が見たいですね!

投稿: にしけい | 2010年11月17日 (水) 20時08分

はじめまして。
奈良の郵便局で働いています。
大学は社会学をしてました。

昨日、勤労感謝の日に大学の先生に誘われて、就活くたばれデモ@大阪に参加しました。
御堂筋でルイヴィトンの前をプラカードもって歩くのは楽しかったです!

就活に息詰まって→自己否定してしまうなんて、言われてみたら、ほんまにおかしいことで、、
そこで、
「辛い、嫌だ!」とただ個人の問題にするのではなく⇒「システムを見直そう!」「みんなで変えよう」と外に向かって社会の問題へと発想の転換ができるところが運動の魅力なんですね!!(実際社会問題やと思います!大いに議論すべき!)
デモはいいですね!

あえてひとつ言うなれば、通行人がどんどん共感して連れ立ってもらえるようなパフォーマンスなどの引き付ける力があれば、運動はもっと大きくなっていくのではないかと思いました。
デモ初心者のざれ言です。
いや、楽しかった!

投稿: たかやなぎ | 2010年11月24日 (水) 23時15分

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