« またしても「つぶやく」について | トップページ | 結果としていやがらせw »

2010年5月11日 (火)

窮屈な大学なんかクソくらえ

 世の中では色んな話が刻々と移り変わっていくわけだけど、僕はわりと愚直に一つのことについて考え続けたりしていて、取り留めのないことを書いてみる。

 僕が大学に入学してから学んだことは、色々あるのだけど、一つ挙げるとすると、「与えられるルールを相対化して見る視点」というものではないかと思う。それはもちろん授業のみから得られるものではなく、あくまで「実践」を通してである。それは「現場」と言い換えてもいいかもしれない。

 

 実践、もしくは現場というのは、要するに机の前に座って誰かが書いた書物を読むだけで満足せず、実際にその問題の起こっている現場に出向いたり、問題とみなした事柄の解決のために行動すること、、考えること、ということである。僕は、なぜだかこの「実践」というやつにとても興味がある。たぶん、高校生ぐらいの時に小難しい概念をこねくり回していたわりには、あまり世の中のことを分かっていなかったことに対する反省があるのかもしれない。

 別に、「理論が必要ない」とか「本を読んでもムダだ」なんていう気はないんだけど、ただ頭の中で考えただけで満足していたら、何にも意味ないじゃないかと思う。思想の中に世界があるのではなく、世界から思想が作られるのだから。

 ともかく重要なのは、人はそうした様々な実践を通してある種のしたたかさを学ぶということである。世の中の複雑な世界にぶつかって、いかに自分の理想とする社会を模索していくか。これは現場に出向いて考えないと分からない。

 だが、若者が様々なことに挑戦し、「実践」していくためには、条件が要る。ここではそれについて考えてみる。

 まず十分な時間。なにかにひたすら急かされている状態では、良いアイディアは生まれない。そのため、金銭的に絶望的な状況では、時間を奪われるためよくない。金もある程度は必要だ。

 しかし、もっと必要なのは仲間かもしれない。同じ趣味を持つ仲間は不可欠だ。彼らと出会うための場所と方法が手に入れられる状態が必要だ。

 次に自由に使える空間(スペース)と道具(ツール)。誰にも干渉されないで、集まり、騒ぎ、話し合い、そして実験できることは不可欠である。

 そして、何よりも大切なのは、「非常識」な逸脱行為や稚拙な試みを受け容れる寛容な「他者」の存在である。はじめから「非常識なことはするな」とかいうことを言われていたのでは、若者は萎縮し、そこからは何も生まれないだろう。お互いの行為を認め合い、寛容な視点で受け止めることは、他者の視点に怯えずに行動するためには重要である。それは別に何の規制もしなかったり、また甘やかすことではない。時には真摯に「叱る」ような態度もたぶん必要だろう。しかし、総合的には「後先を深く考えずに、自由なことをやってみろ!」という、懐の広い大人と子どもの存在が、創造的空間には欠かせないだろう。


 そのように考えてみると、大学というのは、様々な意味でこうした「実践」をするにふさわしい場所なのではないかと思う。大学生は、有り余る時間(場合によっては何年も在籍している)の中で、教室や研究室、キャンパスを自由に利用し、手足を自由に伸ばして想像し、創造することができる。そこは純粋な「他者」の空間でもなく、かといって、「常識」や「世間」のみがのさばる空間でもない。実践と言うのは、「実験」でもあるので、大学は実験室としてはまるでうってつけだという言い方ができるはずだ。

 

 いや、正確には「うってつけ『だった』」というべきか。いまや、大学はそうした空間ではなくなっている。

 

 まず、最近の大学は学生が色々なことを試すための自由を好ましいものと思っていない。大学がリベラルな空間だということを抜かす奴がいあるかもしれないが、それはウソだ。

 このブログでも詳しく書こうと思っていたのだが(僕の遅筆ぶりのせいで実現はしていない)、日本の大学(北大含む)は学生の自主的な活動や、政治活動、自治活動などを積極的に(時に消極的に)、様々な方法で押さえ込もうとしている

 学生の自主管理スペースは狭められ、講義以外で教室を使う手段は奪われたり隠されている。大学にとって「好ましくない」と見なされた活動(それは、思想的にラディカルだとしても、学問的な問題意識の延長線上にある可能性も高い)は、異物と見なされ、積極的に排除される。実際に、「就活くたばれデモ」に関する活動や、大麻問題研究会(あさけん)の両方とも、北大の教職員からしっかり妨害されている

 しかも、そうした排除は「キャンパスの改装」や「学内の学習環境の向上」などの「美しい建前」の裏で進行するのでタチが悪い。都市におけるジェントリフィケーションが野宿者(ホームレス)を排除していく過程と全く変わらない。表面的に「正論」を押し出して実行される規制に対しては、反論するのが難しい(反論すると悪者扱いされる)。その実態がどんなに悪質なものであっても、だ。

 結果として、学生は大学当局が「安心して放っておける活動」以外に時間を費やすというオプションを奪われている。大学にあるのは、社畜養成のために非常に都合のいい擬似軍隊(体育会系)だとか、毒のない文化系サークル、実践を伴わない机上の勉強、就活セミナー、「政治的でない」ボランティア活動。

 表面的には多様な選択肢があるが、実際はなんだか牙のない、炭酸の抜けたコーラのような活動だけだ。

 

 別に、政治的にラディカルなことこそが、大学に不可欠だといっているのではない。しかし、文化的な活動や政治的な活動が次々と湧き出てくるような環境でなければ生まれないものがあり、それこそが大学の知の源泉なのではないかと思うのだ。

 だから、新自由主義的な「大学改革」は、リベラルであるべきの大学の姿を変容させる。研究でも、企業活動でも、社会活動でも、必要なことは様々な実践によって培われるのだから、それを奪い去ることはある種の自殺行為だと僕は思う。

 頭がごちゃごちゃして、言いたいことの半分くらいしか書けなかったけれど、「いいこと」と「悪いこと」を一方的に峻別して、学生の活動をはじめから制限するような大学のあり方はクソくらえということだ。とにかく。


|

« またしても「つぶやく」について | トップページ | 結果としていやがらせw »

就活くたばれ」カテゴリの記事

時事的なこととか、政治的なこと」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、日曜日はすみません、電話。
東京行ってました笑

「現場」が大事とはその通りだと思います。
法律にしても何にしても、机の上だけではわからない。
そう思って私は大学生活を過ごしてます。
だからこそ、出かけているのですが、いつも貧困です笑

最近、就活はしていないですが、就職については考えます。
でも、調べてみると私が希望する会社ってもう募集終わっているんですよね…。おかしいーー!!と思います。

投稿: はるか | 2010年5月12日 (水) 12時08分

はじめまして。

良いですね、気に入らないことには「クソくらえ」という発想。
私は社会人ですので、程々にしないとしっぺ返しが辛いですが。

まあ、社会全体が中指立てて生きるには生き難い世の中ですね。

投稿: george | 2010年5月13日 (木) 03時01分

>はるかさん

東京行ったの知ってますよー
阿佐ヶ谷ロフトのイベントのustream配信見てたら質問してて「おーっ」と思って電話したんですよ。(そして実は、もう一人の「はるかさん」も、なんだかんだ知り合いですw)

僕は将来が不透明すぎて笑っちゃいますがw、好きに生きたいと思います。

>georgeさん

こんにちは、はじめまして。
そうですね。でも、意見とか、感じたことはある程度主張しないと、後から結局自分達に返ってくるんじゃないかなと思いますので、まぁ出来る範囲でしかありませんが、僕は行動したいです。

投稿: O瀧 | 2010年5月13日 (木) 17時12分

はじめましてkotaと申します。
いつもはROMしているだけなのですが、今回の記事は強く共感したので勢いで書き込みしています。
私はO瀧さんと同じ北大に在籍しています。
今は南の方のキャンパスにいますが、札幌時代を含めてずっと学生寮にいます。
ご存知かと思いますが、北大の学生寮は建前上自治寮、つまり自分たちの事は自分たちが決めるスタイルを取っています。しかし、この自治も大学側から圧力が強くなっている様に感じます。昨年こちらの学生寮が30年ぶりに建て替えとなったのですが、大学側はほぼと言っていいほど寮生の意見を聞き入れる行為をしませんでした。自治会として様々な抵抗は行ったのですが、結局、建て替えは決行され、生活空間も大きく変わりました。
もちろん学生寮の建物自体は大学のものですし、大学が管理したほうが綺麗で効率的でしょう。しかし、中で日常生活を送るのは私たちです。自分たちの生活スタイルを自分たちで決める自治さえできない窮屈さを強く感じています。建替えの際に調べたのですが、法人化の影響と文科省の許可もあってか全国で学生寮の立替、自治会の解散が行われているようです。
内容がない長文になってすいません。
自治させない窮屈な大学なんかクソくらえと私も思います。

投稿: kota | 2010年5月13日 (木) 22時06分

>kotaさん

丁寧なコメントありがとうございます!

南の方と言いますと、水産の北辰寮でしたっけ?建て替えになったとは知りませんでした…ショックですね。

本文でも書きましたが、大体にして、キャンパスなどの建物がキレイになるということは、そのままそこで行動する人間の自由度が下がるということを意味しています。一見、快適そうな清潔さは、しかしそこで生活する学生自身にも、その「清潔さ」(これは単に衛生的という意味ではありません)を強いるのでやっかいです。なので、極端な言い方をしますが、清潔なキャンパスはそのまま「害悪」だと僕は思っています。
これがオプションならまだしも、改装などは強制されますからね。大学は一体誰のものなのかと。

全国で自治会・自治寮つぶしがされている中で、北大の恵迪寮には頑張ってもらいたいところですよね。
僕も、北大内で学生の意見が通るような、民主的な大学を目指していきたいです。お互い頑張りましょう!

投稿: O瀧 | 2010年5月14日 (金) 01時30分

30年位前、寮・サークル闘争をたたかった北大OB(元寮生)です。当時も君とほとんど同じ課題を抱えながら、僕らはたたかっていました。そして、新サ館と現恵迪寮が作られ、僕らは形の上では全面敗北しました。
しかし、特に寮においては、ゲリラ戦のような自主管理回復に向けてのたたかいが継続され、自治は保たれました。僕らも頑張ったつもりですが、自治を行い続ける後輩諸君も立派だと感心しています。
自由に発言し、自由に行動するものがいなくなれば、自由は痩せ細る一方です。若い人たちが権力側の都合に過剰に適応しようとしているように見える現代に、私は危機感を抱いています。
このページはたまに拝見しています。君の思うとおりに、これからも行動していってください。

投稿: くにむら | 2010年5月15日 (土) 23時57分

>くにむらさん

どうも、コメントありがとうございます。

>若い人たちが権力側の都合に過剰に適
>応しようとしているように見える現代

ホントにその通りだと思います。

なんだか、みんな押し付けられたルールとか「マナー」(こんな疑わしいものはない)を相対化するどころか、強化するような態度を積極的に取っているように見えます。それがおそろしいし気色悪いです。

ただまぁ、それが幼い頃からよく「しつけ」けされた「優等生」の性なのかもしれませんが…大学における勉強を通してもっと目を覚まして欲しいと思います。「トップダウンは理不尽なのだ」と。

大学に入学した時点で「自治」というオプションをほとんど抹殺されている現在の学生のおかれている状況というのは悲惨だし、非常に息苦しいです。

僕自身、手探り状態ですが、少しずつでも、行動を起こして行きたいと思います。

P.S. ゲリラ作戦は面白いですねw

投稿: O瀧 | 2010年5月16日 (日) 03時56分

はじめまして。

うちの大学でも、本部大学キャンパス敷地内での禁酒禁煙が決定し、去年の春から実行されています。
地方国公立大です。
誰か反対しなかったのか?とものすごく疑問です。
私は分室・・・というか、キャンパスが本部キャンパスと離れており、禁酒令はありませんでした。

自分も行動できていないうちのひとりですが、行動するのが怖いという感覚と、行動の仕方がわからないという感覚があります。
難しいですね。

投稿: 05ao | 2010年7月 9日 (金) 21時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1235827/34597683

この記事へのトラックバック一覧です: 窮屈な大学なんかクソくらえ:

« またしても「つぶやく」について | トップページ | 結果としていやがらせw »