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2010年5月の記事

2010年5月26日 (水)

「就活デモ」についての整理、大ざっぱに。

 ここで紹介するのをすっかり忘れていたのだけど、ちょっと前に「就活くたばれデモ」に関する色々の画像などをネタにして、友人が動画を作ってアップしてくれた。せっかくなので、もっと再生数が増えたらいいなーと思いつつ、ここにも載せておく。

 

 上の動画では、「就活くたばれデモ」(札幌)、「就活のバカヤロー!!デモ」(東京)、「就活くたばれデモ@TOKYO」(東京)の画像が使用されている。ただ、就活デモについて関心がある人でも、「なんで三回行われたのか」「なんで東京で二回やってるのか」ということについて分かりにくいと思うので、今更ながら解説をしようと思うw

 まず、就活デモというのは、僕の思いつきで生まれたものである。理由は「就活に不満持ってる人って多いし、みんな不満があるんだったら声を上げようよ」というもの。付け足すこともないけど、「就活が嫌なんだったら、そう言えば?」ということだ。僕自身は、デモをした時点では(というか今でも)就活はしていないけれども、やたら早い時期から就活について考えさせられ、しかも就活自体のルールがなんら公平でも公正でもないことに疑問を持っていた(というか、まわりの学生を見ていてそう思った)。

 で、その異議申し立てをするためにデモをやろうと思ったのだが、「せっかくだから色んな地域で同時多発的にやったらいいんじゃね?」と思い、他の地域でも「就活ってなんかおかしいぞ」と思っている人を募ってみることにした。

 でその際に利用したのが、SNSのmixiである。ここには、様々なコミュニティがあるが、その中の「デモをしようぜ!」とか「サウンドデモ」とかいう、ろくでもないコミュニティで、それぞれ「就活についての不満をぶちまけるデモをやります!他の地域でも共感して、やりたいと思う人は勝手にやってください!」と呼びかけたところ、「東京でもやりたい」という学生さんが現れたである。まったく、世の中捨てたもんじゃないw

 ただ、同時多発的にやることは決めたものの、(多様性も大事だし)きっちり統一した行動をやる必要も感じなかったので、「就活に対する不満をぶちまける」という、その一つのみをテーマとして、札幌と、それから東京で行うことにしたのである。実行日は、日程の調整具合から、「なんとなく11月ぐらいがいいかな」と思ったのだが、「勤労感謝の日にやったらおもしろかろう!」と思い、決行は11月23日に決めた。東京とは、この日程のみ共有。

 それで、僕は元々「くたばれ!」という言葉が好きで、「就活なんてクソみたいなものに怒りをぶちまけるのだから、これぐらいの言葉でいい」と思い、「就活くたばれデモ」と命名。一方、東京では「『くたばれ』というのは、ちょっときつい言葉なので、例のベストセラーの新書『就活のバカヤロ-』にならって『就活のバカヤロー!!デモ』にする」とのことで決定。著作権はどうなんだろうとかちょっと思ったけど、非営利だし、まぁ大目に見てくださいw

就活のバカヤロー (光文社新書) Book 就活のバカヤロー (光文社新書)

著者:大沢 仁,石渡 嶺司
販売元:光文社
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 ちなみに、余談だけど、この本の共著者の石渡氏には今度北大で講演をしてもらう予定。僕もゲストとして参加する事になっている(詳細は後日)。

 まぁそんなこんなで、チラシをまいたり、掲示板に張ったり、仲間集めをしたり、しっかり北大当局の妨害に遭ったりしながらw、なんとかデモを実行した。札幌では、デモ開始直前に雨が降っていたからか、参加者自体は少なかったが、ともかく実行でき、マジメなことやバカなことを叫んだりして、無事終了。

 

 札幌では、北海道新聞(=道新)、北方ジャーナル、それから(フジ系列の)UHBが取材に来ており、新聞に記事が載ったり夕方のニュースで放送されたりしたのだが、特に道新の記事に関する反響がすごかった。ネットで公開された記事は、500件以上はてなブックマークが付いたし、2ちゃんねるではニュース速報でスレッドがパート10まで立った(コメント数にして1万件!)。まぁ、こんなこと書くと自慢臭くてよくないのだけど、でもその反響は賛否色々あったわけで、別に好意的じゃないどころか、「なに考えてんの」みたいなものもたくさんあった。ただ、それでも結果的に議論のきっかけになったところはあるし、「やらなければよかった」とか「ムダだった」とは1μ(ミクロン)も思ってない。そんなこと考えるぐらいだったら最初からやってねーよって感じだ。こっちは実名さらけ出してやってるんだぞ!

 とまぁ、こうした毀誉褒貶の反応が色々あったわけだけど、その中で特に嬉しかったのは、「北海道に続け!」と、他の地域でも就活デモをやろうという動きが出てきたことだ。というのは、札幌のデモは話題になったが、東京の方は残念ながら(メディア対策をしなかったせいか)あまり話題にならず、「札幌だけで終わらせず、関東でもデモをやろう」という(誤解に基づいた)動きが生まれたのである。しかも、2ちゃんねるから。

 よく、就活デモに関して、2ちゃんねるの書き込みを(ちょっと)見た人から、「批判ばっかりでしたね」とかいう意見をもらうことがあるが、必ずしもそれだけではないのだ。

 それで、2ちゃんねるの大生(=大学生)版というところの「住人」たちが盛り上がり、就活デモを行った2ヶ月後の2010年1月23日には、東京の中心部(東京駅あたり)にて、デモを実行することが出来た。このデモは、事前準備の段階で、一回もメンバーが顔を合わさないというすさまじいスタイルで行われた。中心となっている人同士さえも顔を合わせずに準備して実行したデモっていうのは、けっこう珍しいんじゃないだろうか。もしかしたら日本では初めてかもしれない(まぁ、東京の「バカヤロー!!デモ」と「くたばれデモ」の両方とも参加した人もいるので、全員が初対面ではなかったのだけど、ともかくほとんどの人はお互いに知らない人だったのはすごい)

 それで、このデモもなんでか参加者自体は非常に少なかったのだが(東京って人口多いんじゃないのか!どうなってるんだ!)、J-CASTという、ネット上のニュースサイトに記事が載ったことで、ネット上でも一部で話題になった。ちなみに、この記事の面白いところは、(実は記事では触れられていないが)この記者さんが、事前の告知などで聞きつけてデモに来たのではないということだw

 この人は、道ばたで偶然、就活くたばれのデモ隊と遭遇し、「な、なんだあれは!よく分からないけど、面白そうだ」と思って(いや、思ったかどうか知らないんだけどw)、デモ参加者にインタビューしたのである。この記事が無かったら、もしかしたら東京の「就活くたばれデモ」も目立たずに死んでいたかもしれないw なんという行き当たりばったり!この無計画性は、ちょっと困りものだが、この運の強さもすごい!ww

 「就活くたばれデモ@TOKYO」については、メインのサイトと、それから上述したJ-CASTの記事があるので、気になる人はそちらを参考にしてください。

就活くたばれデモ@TOKYO

「就活くたばれデモ」東京でも開催(J-ASTニュース)

 とまぁ、以上ダラダラと書いたのが、「就活デモが三回行われた理由」である。なんだか、たまに就活デモについて取材を受けるときにも、その辺の話がいまいち分かりにくいので、まとめて書いておく事にした。

 それから、「就活に不満があったのは分かるとしても、なんで『デモ』だったのか」という話を書きたいという気持ちがずっと前からあるのだが、それはまた期を改めて書きたい。いつになるか分からないけどw

 ちなみに、「就活くたばれ」とか言ってるけど、どんな代案があるのよ」とか抜かす人がいるが、そんなことは僕にだって分からない。「分からないで文句を言うなんて、そんなの無責任だ!」とかいう人がいるかもしれないけれど、企業、大学、学生、政府と、色々なファクターが絡まっていて、それぞれが「どうしたものか…」と頭を抱えている問題について、異議申し立てした学生が「代案はどうするんだ!」などと責められなければいけないのだとしたら、誰も何も言えない。先が見えなくても、「こんなのはおかしい!」と思った事に対して、はっきりと声にすることは当然認められるべき権利だ。そういう文句をつけるヤツには、「黙ってて事態が何か好転するのかよ」と逆に問い返したい(これは上に少し書いた「なんでデモなのか」という話とも関連するので、今度じっくり書きたい)。

 おまけで、デモの反響として、いくつか取材が来たり、書籍で言及されたりということもあった。どっちも人から聞いた話で、自分の目では直接見てないけど、本田由紀・苅谷剛彦編著『大卒就職の社会学』、白石嘉治著『不純なる教養』にて言及されてるそうです。たぶん、ちょこっとなんだろうけど、ともかくなんだか嬉しいではないかw 

大卒就職の社会学―データからみる変化 Book 大卒就職の社会学―データからみる変化

販売元:東京大学出版会
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不純なる教養 Book 不純なる教養

著者:白石嘉治
販売元:青土社
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 本田さん、北大に講演しに来てくれないかなー。「軋む社会」もおもしろかったし、一度お会いしてみたいところです。

 

軋む社会 教育・仕事・若者の現在 Book 軋む社会 教育・仕事・若者の現在

著者:本田 由紀
販売元:双風舎
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2010年5月24日 (月)

就活広告 その1

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 北大生協の食堂には、トレーの上に宣伝ステッカーが貼ってある。「就活特集」という文字が書いてあるのが見えるだろう。
 この画像では名前が識別できないが、まん中の段には、企業の広告が入っている。就活が大学において幅をきかせることの問題の一つは、企業の広告が「就活情報」という名目で、堂々と大学に入り込んでくるということだ。

 しかもよりによって自分達が出資している生協がこんな広告を載せているというのは気持ち悪い。企業の手先になった生協に存在価値はない。出資金を返還させよう。

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 こんなものが学食のテーブルの上には、はびこっている。このように、現在の大学内には、学生が就活を所与のものとして見なすための「装置」が、いくつも埋め込まれている。「学生は、在学中に就活するのが当たり前」と思い込ませるために。「真理の探究」をするための学究の徒なんて、要らないらしい。「みんな、企業社会において有用な人材になろうよ」ってね。

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2010年5月14日 (金)

もうシャッター通りとは言わせない!!の巻

 今日も北大にて役立たずどもが集まり、妙な話し合いなんかをしてたのだけど、その報告は今度することにして、明日行われる妙なイベントについて告知しよう。

 っていうか微妙に日付変わったから今日じゃん!まぁ細かいことはどうでもいい。誰かがこんな時間にコレ読んでるのか。そんなこともどうでもいい。

 札幌駅のちょっと西の方にある発寒商店街(最寄り駅は地下鉄「発寒南」)というところで、北大法学部(公共政策大学院?)・准教授の中島岳志という男がコンセプトを出して、町おこし・コミュニティ作りみたいなことをしてるのだけど、そこでイベントがある。

 なんだかよく分からないが以下のような感じらしい。

 以下、引用

 

発寒商店街では5月15日(土曜日)に、空き店舗のシャッターを一斉にオープンし、無理矢理、一日だけ賑わった商店街にするというイベントを行います。題して「もうシャッター通りとは言わせない!!」。

 当日は、音楽ライブあり、落語会あり、地元の神社の祭りあり、無差別級古本市(札幌の古本ニューウェーブが集結!)あり、過疎化に悩まされる自治体の特産市あり、豚汁あり、子育て支援あり、潰れた酒屋のコップを全部売っちゃうぞ市あり、ニート支援事業あり、ヨーヨー釣りあり、コーヒー(100円)あり、各商店のワゴンセールあり、(そしてついでに私の講演あり)。
 まとまりやコンセプトなんて、この際、気にしていません!とにかくぱっと明
るい一日にしようという企画です。

 発寒商店街の空き店舗に興味がある方、漠然と店を始めてみたいと考えている方、楽しいことが好きな人、暇な人、最近ちょっと落ち込んでいる人、みんな発寒に集まりましょう!!

 引用ここまで

 なんだかよく分からないが、自治だのなんだの言ってる人間からしたら、やっぱり地域コミュニティみたいなのも大切だと思うので、ひとまず興味を持った次第である。この先生も、「私はノリだけで生きてますから」とか言うだけあって、後先考えないで色々やりはる。何かの参考になりそう。

参考までに、

中島先生のネット上の連載記事→「中島岳志の希望は商店街」 http://www.magazine9.jp/hacham/100512/

それから、中島先生の関わるコミュニティカフェのブログ→「カフェハチャム」
http://hacham.jp/

明日、昼前ぐらいに起きれたら行こうと思います。
興味のあるひとはぜひ!

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結果としていやがらせw

 前回の記事(窮屈な大学なんかクソくらえ)で、なんだか大学における学生活動の制限(当局からの干渉)について書いたけれど、自分はそれに悲観して、うずくまっているわけではないのだということを当たり前のように思い出したw

 今日はそれについて書こう。ちょっと遠回りしながら。。

 新自由主義的な「大学改革」が行われている(もしくは行われた)状況にあっては、大学は「市場価値」が下がるようなことをとにかく嫌がる。つまり、大学が外から見たときの評判をすごく気にするようになる、ということだ。何でかというと、入学希望者が減るし、おそらく文科省などからの評価に影響するのだろう。工学部などで「起業との共同研究(産学協同)」などをやる際に、企業様wに顔向けできなくなるのかもしれない。

 まぁとにかく、よくわからん「オトナの事情」によって、大学が動くようになるのだ。気色悪い事に

 で、そうすると、例えば、「学生が犯罪を犯して逮捕された」だとか、「教授が論文剽窃で新聞沙汰になった」とかいうものは、とにかく「できるだけ避けたいこと」になる。

 で、そうした状況下にあって、最近、大学が非常に(たぶん)意識的なものの一つは、大麻だ。

 少し前に、全国の大学で、学生の「大麻問題w」が話題になっていたが、それが北大内で起こることを非常に恐れている。だから、学内にやたらとポスターが 張ってあるし、同じようなチラシが窓口にたくさん積んである。

 まぁ僕からしたら大麻なんていうのは、いちいち騒ぐようなモノでは全然ない。ここで大麻の害うんぬんについて語るのは(もはや面倒なので)しないし、別に「法律を犯して栽培して吸え」とかいう気はないけど、公定の法を守るかどうかは基本的に個人の良心の問題であるのだということを、僕は強調したい(大体、「危険だ」とかいうんだったら公的な治療所でも作れよ、と思う。刑務所は「依存症患者」を収容する場所ではなかろう)。とにかく日本の薬物政策は矛盾だらけなのだが、まぁそれはいい。

 とにかく「常識病」的な多くの日本人にとっては、「大麻=麻薬=人格崩壊」みたいな意味不明な図式が成立しているらしいので、「大学生が大麻に手を出した」なんていうのは、まぁ不祥事と見なしていいことなんだろう。

 

 で、それからもう一つに大学が気にしているものは、学生の「就職率だ。「卒業生が「有名企業」にこれだけの人数、就職しました!」みたいなことが、大学にとっての人気に関わる。それが先述した入学者(受験者数)へ影響を与える。「就職に強い大学50」みたいな感じで、バカな週刊誌などもこうした状況を煽るのが一因ではあるが、昨今のような「就職難」の時には、保護者もこうした情報を気にする。だから大学もそれを気にせざるを得ない。就職率がよければ入学希望者も増える。「就職に強い」が大学のウリになる。だから、大学も就職支援に力を入れる(しかし、そうした卒業生が就職した後に何年で仕事を辞めたかとか、といったことはどうでもいいらしい。重要なのは、「何パーセントの人間が、どこに就職できたか」だけだ)

 こうした状況は、やはり大学外の市場原理と無関係には考えられない。北大において、学生の就職支援を行う「キャリアセンター」ができたのが、国立大学法人に移行したのと同時なのも、決して偶然ではない。最近の大学は、さながら勉強と同じくらい就職活動に力を入れるのが、「優等生」の条件のようで、やたらとセミナーやらガイダンスが開かれている(きもちわる)。

 

 まぁ、他にも大学当局はあらゆる不祥事を恐れているが、最近の情勢では、最も身近で重要度の高いものに入るのではないだろうか。

 で、だから大学が窮屈になってきている、というのが前回の記事なのだが、それに対抗するバカもいないではないのだ。

 僕が昨年、やった主な活動の一つは、北大大麻問題研究会www

 そしてもう一つは、「就活くたばれデモ」wwww

 学内に、「大麻取締法は人権侵害です」と書いた看板を立てたり、「就活なんかくたばっちまえ」と主張するチラシをまいたり……大学当局から、妨害にあったり、呼び出されたりすることも珍しくない。たぶん、絶対マークしてるんだろうなぁ。このブログを熱心に見てる教職員もいるとか、いないとかいう話だ…


 

 なんて厄介なヤツだwwww

 こんなやつ相手にしたくないwww

 きっと、「頼むからおとなしくしててくれよ」ってな感じなんだろうな。

 別に「俺はこんなに積極的に当局に立ち向かってるぜ」なんて自慢する気は、さらさらないし、そんな立派なことしてるわけじゃないけど、まぁ大学の締め付けが厳しくなってる中でも、別に悲観して途方にくれているやつばっかりじゃないんだということだ。

 しかも僕だって、一人でこんなバカげたことをしてるわけじゃない。一緒に行動を起こす仲間がいるのだ。わけの分からないようにも見えることをやって、でも共感者がいる、ということが希望だ。


 ただ、企業社会からしたら害虫のようなやつらが、自然に湧き出てくるのが大学のあるべき姿なんだと僕は思っている。大学は、制度の枠内にあって、その制度を揺さぶり、食い尽くすような思想を養っている場所である。アカデミックな知というのは、本来、企業社会のためだけにあるわけでは決してない。

 そこで行われているのは、一般に認識されている様々なことがらを懐疑的に捉え、脱構築し、創造し、時に解体したままにするような営みだ。それは危険で、時として暴力的ですらある。だから、そこで知を磨く大学生は、従順で純粋無垢な羊達では決してありえない。「マナーを守りましょう」などというちゃちな言葉が簡単に通用するやつらではない。「言うこと聞くよなやつらじゃない」のだ。

 彼ら(彼女)らは、常識や制度を破壊し、内側から創造するための道具を、武器を常に磨いているのだ。大学に勤めるものはそのことを意識するべきだし、くれぐれも彼(彼女)らを甘く見ない方がいい。別に脅すわけではないけれど、そう思う。

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2010年5月11日 (火)

窮屈な大学なんかクソくらえ

 世の中では色んな話が刻々と移り変わっていくわけだけど、僕はわりと愚直に一つのことについて考え続けたりしていて、取り留めのないことを書いてみる。

 僕が大学に入学してから学んだことは、色々あるのだけど、一つ挙げるとすると、「与えられるルールを相対化して見る視点」というものではないかと思う。それはもちろん授業のみから得られるものではなく、あくまで「実践」を通してである。それは「現場」と言い換えてもいいかもしれない。

 

 実践、もしくは現場というのは、要するに机の前に座って誰かが書いた書物を読むだけで満足せず、実際にその問題の起こっている現場に出向いたり、問題とみなした事柄の解決のために行動すること、、考えること、ということである。僕は、なぜだかこの「実践」というやつにとても興味がある。たぶん、高校生ぐらいの時に小難しい概念をこねくり回していたわりには、あまり世の中のことを分かっていなかったことに対する反省があるのかもしれない。

 別に、「理論が必要ない」とか「本を読んでもムダだ」なんていう気はないんだけど、ただ頭の中で考えただけで満足していたら、何にも意味ないじゃないかと思う。思想の中に世界があるのではなく、世界から思想が作られるのだから。

 ともかく重要なのは、人はそうした様々な実践を通してある種のしたたかさを学ぶということである。世の中の複雑な世界にぶつかって、いかに自分の理想とする社会を模索していくか。これは現場に出向いて考えないと分からない。

 だが、若者が様々なことに挑戦し、「実践」していくためには、条件が要る。ここではそれについて考えてみる。

 まず十分な時間。なにかにひたすら急かされている状態では、良いアイディアは生まれない。そのため、金銭的に絶望的な状況では、時間を奪われるためよくない。金もある程度は必要だ。

 しかし、もっと必要なのは仲間かもしれない。同じ趣味を持つ仲間は不可欠だ。彼らと出会うための場所と方法が手に入れられる状態が必要だ。

 次に自由に使える空間(スペース)と道具(ツール)。誰にも干渉されないで、集まり、騒ぎ、話し合い、そして実験できることは不可欠である。

 そして、何よりも大切なのは、「非常識」な逸脱行為や稚拙な試みを受け容れる寛容な「他者」の存在である。はじめから「非常識なことはするな」とかいうことを言われていたのでは、若者は萎縮し、そこからは何も生まれないだろう。お互いの行為を認め合い、寛容な視点で受け止めることは、他者の視点に怯えずに行動するためには重要である。それは別に何の規制もしなかったり、また甘やかすことではない。時には真摯に「叱る」ような態度もたぶん必要だろう。しかし、総合的には「後先を深く考えずに、自由なことをやってみろ!」という、懐の広い大人と子どもの存在が、創造的空間には欠かせないだろう。


 そのように考えてみると、大学というのは、様々な意味でこうした「実践」をするにふさわしい場所なのではないかと思う。大学生は、有り余る時間(場合によっては何年も在籍している)の中で、教室や研究室、キャンパスを自由に利用し、手足を自由に伸ばして想像し、創造することができる。そこは純粋な「他者」の空間でもなく、かといって、「常識」や「世間」のみがのさばる空間でもない。実践と言うのは、「実験」でもあるので、大学は実験室としてはまるでうってつけだという言い方ができるはずだ。

 

 いや、正確には「うってつけ『だった』」というべきか。いまや、大学はそうした空間ではなくなっている。

 

 まず、最近の大学は学生が色々なことを試すための自由を好ましいものと思っていない。大学がリベラルな空間だということを抜かす奴がいあるかもしれないが、それはウソだ。

 このブログでも詳しく書こうと思っていたのだが(僕の遅筆ぶりのせいで実現はしていない)、日本の大学(北大含む)は学生の自主的な活動や、政治活動、自治活動などを積極的に(時に消極的に)、様々な方法で押さえ込もうとしている

 学生の自主管理スペースは狭められ、講義以外で教室を使う手段は奪われたり隠されている。大学にとって「好ましくない」と見なされた活動(それは、思想的にラディカルだとしても、学問的な問題意識の延長線上にある可能性も高い)は、異物と見なされ、積極的に排除される。実際に、「就活くたばれデモ」に関する活動や、大麻問題研究会(あさけん)の両方とも、北大の教職員からしっかり妨害されている

 しかも、そうした排除は「キャンパスの改装」や「学内の学習環境の向上」などの「美しい建前」の裏で進行するのでタチが悪い。都市におけるジェントリフィケーションが野宿者(ホームレス)を排除していく過程と全く変わらない。表面的に「正論」を押し出して実行される規制に対しては、反論するのが難しい(反論すると悪者扱いされる)。その実態がどんなに悪質なものであっても、だ。

 結果として、学生は大学当局が「安心して放っておける活動」以外に時間を費やすというオプションを奪われている。大学にあるのは、社畜養成のために非常に都合のいい擬似軍隊(体育会系)だとか、毒のない文化系サークル、実践を伴わない机上の勉強、就活セミナー、「政治的でない」ボランティア活動。

 表面的には多様な選択肢があるが、実際はなんだか牙のない、炭酸の抜けたコーラのような活動だけだ。

 

 別に、政治的にラディカルなことこそが、大学に不可欠だといっているのではない。しかし、文化的な活動や政治的な活動が次々と湧き出てくるような環境でなければ生まれないものがあり、それこそが大学の知の源泉なのではないかと思うのだ。

 だから、新自由主義的な「大学改革」は、リベラルであるべきの大学の姿を変容させる。研究でも、企業活動でも、社会活動でも、必要なことは様々な実践によって培われるのだから、それを奪い去ることはある種の自殺行為だと僕は思う。

 頭がごちゃごちゃして、言いたいことの半分くらいしか書けなかったけれど、「いいこと」と「悪いこと」を一方的に峻別して、学生の活動をはじめから制限するような大学のあり方はクソくらえということだ。とにかく。


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