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2010年2月 2日 (火)

一人称を貫く森達也――『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う Book 死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

著者:森達也
販売元:朝日出版社
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 かつてオウム真理教のドキュメンタリーを作成した森は、オウムの起した一連の事件に関わっていた元信者達が次々と死刑判決を受け、「確定死刑囚」となっていく現実に直面し、死刑について考えざるをえなくなる。そこで、死刑を取り巻く状況や、それに関わる人たちへの取材を通して、死刑という重要なテーマについて考察する。

 取材の対象は、死刑廃止を唱える政治家、教誨師、元検察官、元死刑囚(不思議な表現だが、こういう人も実際に存在する)、死刑をテーマにした漫画の作者、家族を殺された遺族など多岐にわたる。取材は3年以上を費やしたという。

 そこから、見えてくることことは、一つにこの日本と言う国では死刑という制度が圧倒的に不可視の状況に置かれているということである。一般市民にとって、死刑という制度とその周縁にあるものは、ブラックボックスに包まれており、それを詳細を知ることは非常に難しい。それはメディアも同様である。そのため、死刑に関する十分な議論が尽くされているとは言い難い状況で、「存置」「廃止」といった感情論で世論が決まっているような感覚がある。例えば、「死刑執行後に冤罪が証明された場合の補償の上限額は三千万円」(刑事補償法第四条)などということを知っている人がどれだけいるだろうか?

 そして、こうした取材の後、森が達する結論は、非常に主観的な廃止論である。といっても、それは単純な「死刑なんかいけないよね」というレベルの話では当然ない。むしろ、あらゆる論理的な議論を考慮したうえで、「でも僕は自分の知っている人間には死んで欲しくない」と「情感」に基づいて出した結論なのである。

 人によっては、これを感情論への逃避と考えるかもしれないが、しかしこれは森自身のある種の「誠実さ」の表れだと僕は思う。抽象的な三人称複数(「われわれ」)に頼らず、一人称(私)を重視してきた彼が、重大事件の加害者でもなく、被害者でもないという事実の前に立ったときに、死刑について声高に喋れることはないという結論が出てくるのは自然であろう。
 
 ということで、森の、よく言えば実直で正直な、悪く言えば優柔不断で踏ん切りのつかないような態度がよく表われている著作。死刑について考えるきっかけとしては入門書のような感じで読めばいいのかも。

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