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2009年11月28日 (土)

就活が楽しい?それは分かるけど、分からない。

「負けまいとする心でしょう!」というブログ(http://kd1.blog103.fc2.com/)の管理人のあかさかさんという方が、このくたばれデモについて何度かエントリーを書かれていて、トラックバックももらったので、返事を書きます。

というか小さな反論を。

僕の考えを二つほどお伝えさせていただきます。

まず本文中に、

>「就活ってそんなに悪いものじゃないから悲観するなよ」っていうことと

とありましたが、それは半分真実で半分は虚飾なんじゃないかと思います。

確かに、就職活動の時期になって、自分の将来のことについて真剣に考え、夢を抱き、自己実現を目指す人もいます。そういう人にとって就職活動というのがステップアップのチャンスであるというのは間違いありませんし、「そんなに悪いものじゃない」(むしろ良い)と思うのも最もでしょう。いえ、そうでなくても最初のうちは就活というものに様々な新鮮味を感じたりする人も多いでしょう。

ただ、朝日新聞でも記事になっていましたが、来春卒業予定の大学四年生の内定率は「60パーセント強で、氷河期並み」とのことです。

「来春卒大学生、内定率62.5% 下落率が過去最大」(朝日新聞 2009年11月19日)http://www.asahi.com/national/update/1119/TKY200911180494.html

ちなみに、高校生はもっと悲惨ですよ。

「高卒就職内定率13ポイント減 9月末現在で37.6%」(朝日新聞 2009年11月4日)

http://www.asahi.com/national/update/1104/TKY200911040155.html

つまり、就活が楽しいとか楽しくない以前に、そもそも仕事にありつけないわけです。そして、その中でひたすら企業にはじかれ続けながら、「就活は楽しい」と感じることが出来るものがどれだけいるでしょうか。少なくとも僕にはその自信がありません。

今の大学生の多くは、奨学金をもらって大学に進学していますが、ご存知の通り奨学金と言うのは実質的に借金です。もし大学を出て仕事が得られなければ、借金だけ抱えて、新卒優遇の労働市場からも排除され、社会に放り出されるわけです。彼らに待っているのは巷でワーキングプア(もしくはプレカリアート)という言葉で形容されている「非正規労働者」の口です。つまり、「新卒でまともな仕事にありつけなかったら…」という恐怖は絶大なのです。そのようなプレッシャーを抱えながらも「就活は楽しい」と余裕をかますことのできる者がどれだけいるでしょうか。

実際、僕たちのデモメンバーの中には、50社近く面接を受けて、落とされ続けた、という者もいますが(彼は結局SEの仕事に就くことを決めました)、彼が就活に対して「下らない」と思う気持ちは誰にも否定できないと思います。

もちろん、就活で勝ち、そして多くの経験を獲得し、自分を成長させることができるものもいます(それこそ面接のための交通費などで儲けるやつだって中にはいます)。しかし、それが全てではないのです。僕たちが問題提起したかったことの一つは、現在、大学内などで溢れる就活に関する言説に定番の「自己実現」「成長のチャンス」などが、いかに偏った意見であるか、ということなのです。

要するに、「「就活で成長した」とか「いい経験になった」とか言うやつがいるのは否定しないけど、そういうやつだけじゃないだろ」と言いたかったのですそれに対して、「そんなに悪いものじゃないよ」と言われてもいたちごっこにしかなりません。

そして誰もが不満を抱えているにも関わらず、その声が上がらないというのはなんとも不健全だと僕は思います。

次に

>「就活をやりきってから就活を批判したほうが説得力があるよ」

とのコメントについて

このデモに関する、ネット上の意見などは北海道新聞の記事のみがソースとして使われている場合が多く、若干事実誤認が含まれています。

僕はネット上での(特に2ちゃんねるなどの)匿名での言論について、あまり関心がないので張り切って訂正していないのですが、今回のデモに参加したものの中には一般企業や公務員から内定をもらった人もいるし、そもそも現在就活に勤しんでいるわけではない大学院生や、フリーター、社会人もいます。

つまり、道新の記事では「内定もらえない学生のわがまま」のようにも見えるかも分かりませんが、必ずしもそうではありません。デモ参加者は決して「自分が内定もらえない社会はおかしい」とすねてるわけではないのです。 むしろ、就活のあり方(からみえてくる社会の矛盾)に対して問題提起をしているのです。

具体的にどんなことをデモで主張した(喋った)のかは、また今度詳しく書きたいと思いますが、一つだけ。

職がないなら景気を憂えばいいじゃない」というエントリーの中で、「都市と地方では交通費・宿泊費などに関して差が出る(地方は不利だ)」という意見に対して、あかさかさんは、

>(交通費や宿泊費などで)20万とか30万とか就活で使ったっていう学生もいる。でもそれって、大騒ぎするほどのことだろうかとどうしても思ってしまう。

と書かれていますが、その金額を捻出できない学生はどうすればいいんでしょうか。今年のように就活が長引いたときに勝つのは、「経済的に余裕のある人」か「関東圏の人」(もしくはその合わせ技)で、これを格差といわずになんと言うんでしょうか。

「面接多い」のプラカードがやたらネットで叩かれたりしていますが、あれの本当の意味は「一体、何次面接まで拘束されるのか分からない」という不満(不安)に加え、「交通費や宿泊費が出せないから面接回数を無駄に増やすな」という意図があります。

つまり、端的に言って格差の問題がそこには横たわっているのであり、「もやい」の湯浅誠が「溜め」と表現しているものが、就活には影響しているのです。

僕としては、不満をぶちまけるだけがデモの目的とは思ってはいませんが、不満を生み出すような社会的な問題があるにも関わらず、それが個人的な問題に還元されているのはおかしい、と思っています。

というか、ここ一年ほど「貧困は自己責任じゃない」という声が上がっているのに、「就活が自己責任」と見なされるような風潮には我慢できませんね

前の記事でも書きましたが、僕は就活自体を全否定する気はありません。

ただ、生きるためにはひたすら生存競争をひたすら続けなければいけない社会はどこかおかしいと思っています。ベーシックインカムなどの議論も視野に入れて、これはまた別の機会にでも書きたいと思いますが、ともかく今日はそこまで。

乱文で失礼いたしました。

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コメント

>>今年のように就活が長引いたときに勝つのは、「経済的に余裕のある人」か「関東圏の人」(もしくはその合わせ技)で、これを格差といわずになんと言うんでしょうか

これは、立地条件の違いです。格差ではありません。

憧れの教授がいたり、憧れの学部があるから北大に入学した人は、就職のときに地の利で不利になったら可哀そうですが、
一方、北海道大学というハコのみに着眼して入学した生徒にとっては、就活の際に「立地が悪い」などと叫ぶのは傲慢だと思います。

例えば、観たいサッカーの試合が埼玉であったとして、北海道民が格差だー!などの叫ぶでしょうか?

投稿: | 2009年11月30日 (月) 22時06分

立地による差が固定的なものになって、実生活に支障が出るレベルに達したら「格差」と呼びうるんじゃないですか?

そもそも、北海道で十分に仕事があって、東京に出て行かなくてもよければ、そもそも就活でやたらと東京に出る必要はないんですよ。そもそもの地域間の経済的格差(東京一極集中)の弊害が就活には反映されているんだと思いますが。

というか、コメントするなら名前ぐらい書いてください。

投稿: O瀧 | 2009年11月30日 (月) 22時42分

それは格差なんだろうか。
少なくとも選択してきた結果なわけだし。
高校も大学も義務教育じゃなくて、
自分自身の努力だったり志向性の結果、
選択して選んでいるわけですよね。

東京に大きな企業が集まってるなんて知らなかったわけじゃないですよね。

がんばったり、運が良かったり、
いろいろな要素で違いはでますよ。
それは是正されるべきものなんでしょうか?
そもそも「格差」って悪いものなんでしょうか?

奨学金だって、自分で借りたいと思って、
借りる必要性があると思って、自由意志で借りてるんですよね。

なんだか違和感があるし、
なんだか社会主義的だなぁとも思うし、
がんばった人や成果を出した人っていうのはその世界ではどんな風に評価されるんだろうってすごく気になります。

投稿: DS | 2009年12月 2日 (水) 16時57分

>DSさん

>高校も大学も義務教育じゃなくて、自分自身の努力だったり志向性の結果、選択して選んでいるわけですよね

個人の選択や努力によっていかんともしがたい問題を格差と呼びます。

>そもそも「格差」って悪いものなんでしょうか?

なんだか竹中とか小泉みたいなこと言いますね。
それは、『格差社会 何が問題なのか』(橘木俊詔著、岩波新書)とか、『反貧困』(湯浅誠著、岩波新書)などをお読みになってください。
あとは、教育格差関連の本とか。

別に社会主義がいいとは思いませんし、「具体的にじゃあどうすんだ」と言われても困りますが、今の社会のあり方がいいものとは僕は思いません。
これは一般論ですが、今の社会のあり方を絶対視するような視点では世の中が良くなることはありませんよ。

投稿: O瀧 | 2009年12月 2日 (水) 23時54分

はじめまして。O点と申します。
東京の大学に通う大学一年生です。

まだまだ就活に関して真剣に考えたことがなく、先輩や家族から話を聞いても想像もつかない状態なのですが

質問があります!

就活ということは企業への就職を考えているということになると思いますが、公務員という選択肢についてはどうお考えですか?就職難、不況・・・O瀧さん自身は安定した公務員という選択肢をとることは考えませんでしたか?

O瀧さんの将来の夢は何ですか?

投稿: O点 | 2009年12月 6日 (日) 00時16分

>O点さん

僕は大学入試が終わって、「こんなめちゃくちゃに勉強するのはもういやだな」と思いました。で、大学でコツコツ公務員の勉強に精を出している人など(大学の自習室や図書館に行けばいくらでもいます)を見て、「うーん、俺にはとても無理だなー」などと思いました。

別に頑張って公務員になろうとしたりする人を否定する気は全くありませんが、僕には公務員という仕事に対して魅力を感じなかったので、コツコツ勉強したりする気にはなりませんでした。
安定しているのはいいことかもしれませんけど、それだけを求めて公務員になるというのがいいことなのか、僕は知りません。

夢とかなんとか、そういうものがなければ生きていけない社会なんて息苦しいと思いませんか。僕には人に誇れるような夢はありませんが、今のところはそこそこ生きています。

投稿: O瀧 | 2009年12月 6日 (日) 18時34分

O瀧さん、丁寧な返事ありがとうございます。

公務員に対するO瀧さんの考え方がわかりました。自分も公務員に対する思いはO瀧さんとほぼ同じです。また、公務員になるために勉強する人を「すごいな」と思う一方で、公務員になるために予備校に通っているということを聞くと、就活にせよ公務員になるにせよ、やはりお金がモノを言う世の中かなと思わざるえません。

ただ、分からないのはなぜ夢がないのに、就活するのか、ということです。ただ生きていくためのお金を創出するためにO瀧さんが就職を考えているのなら、それは安定のためだけに公務員を選ぶのと変わらないような気がしてならないのですが・・・どうなのでしょうか?

夢とかなんとか、そういうものがあった方が楽しくないですか?

投稿: O点 | 2009年12月 7日 (月) 00時46分

0点さん

>ただ生きていくためのお金を創出するためにO瀧さんが就職を考えているのなら、それは安定のためだけに公務員を選ぶのと変わらないような気がしてならないのですが・・・どうなのでしょうか?

確かに。鋭いご指摘ですね…
(まぁやりがいを求めて公務員になる人もいるでしょうから、「公務員=not やりがい but 安定」という図式にすると怒られるかもしれませんが)

うーんと、正確に書くと、僕は仕事というものに対して、やりがいなどを求めたい気持ちは半分あります。それで、残りの半分は「食い扶持を稼ぐため」という認識です。

仕事にやりがいを求めたい気持ちもあるのですが、(性格的に)好きな仕事だとついのめり込みすぎて大変なことにならないかと思ったりもします。

また、重要なのは仕事の「やりがい」が、自分の意志としてではなく、経営者側に利用される恐れもある、ということですね。つまり、今度記事にしようと思っていたところですが、仕事において「やりがいのある仕事」を求める人は、その「やりがい(仕事の楽しさ)」ゆえに、自分の置かれている過酷な労働環境を是認してしまう傾向があるんじゃないかと思うんですよね。逆に、過酷であるゆえに「楽しい」と思い込まないとやっていけないということもありますし。

まぁ一概には言えませんが、自発的にせよ外発的にせよ、とにかく「やりがい」はある種の危険性を孕みうるものだということですね。

で、この前のコメントに戻りますが、昨今の就活はやたらと「志望動機」だとか「適性」だとか、そんなものが重視されます。20年前だったら、「入社してから、頑張って働きます!」で許されていたものが、「そこの会社に行く絶対的な動機がなければいけない」というようになってきているのです。

で、そこで跋扈するのが「仕事のやりがい」とか「夢(もしくは自己実現)」なんですよね。つまり、「仕事を選ぶためには夢を見つけなければならない」という状況になっているのです。

それで、「絶対にその会社に行きたい」という動機のない人は、ウソついたりしないといけなくなります。っていうか就活の実態は「ウソつき合戦」です(ミンティアのCMとかご存知だったりしますか?あんなのは基本的には許されません)。

さっきも書いたように、仕事なんて半分は食い扶持稼ぐためにやることであって、そこに必ず夢がなきゃいけないなんてことになったら、「夢のない人間には働く資格がない」ということになります。

僕が前のコメントで書いた「息苦しさ」とはそのことです。


だから、まとめると、「個人的には仕事にやりがいを求めたい気持ちはある。しかし、やりがいばかりでは続かないし、やりがいや夢がなければ生きていけない社会は息苦しい」ということですね。

そうですね…だから、僕は夢がないわけではないですw

回りくどい話で失礼しました。

投稿: O瀧 | 2009年12月 7日 (月) 18時07分

はじめまして。
ちょっと思う事があったのでコメントさせていただきます。

超個人的な意見なので悪しからず。

まず、就活をどう思うかについては、価値観の問題なので人それぞれです。
否定的に捉える人がいて当然だと思います。

が、気になる事が一点。
他の記事を拝見していないのでO瀧さんの主張の全体感は掴みかねますが、この記事を見る限り、断片的な問題意識が就活全体に対する違和感を形成しているように思えます。
就活の良い側面(定番?)についてどうお考えなのかを聞きたいです。

確かに、格差は存在します。
実際に楽しんでいるのは、一部の学生だけなのかもしれません。

しかし、自分の将来について真剣に考え、進むべき道について悩みぬく経験は、必ず自分の糧になります。たとえ夢が見つからなかったとしても。

面接で、将来やりたい事がないと言って内定を取る人はたくさんいます。本当に夢の有無が重要な点でしょうか。違うと思います。

自分について考える事は、決して一部の学生だけの特権ではなく、全ての人に平等に与えられているものです。
それが、就活から得られる一番の恩恵だと思っています。
食いぶちとして重要なのは当然ですが、就活に否定的な感情を持ったまま嫌々やる事と、肯定的な感情を持って自分としっかり向き合った末にやる事とでは、どちらが幸せな人生を歩めるかは自明ではないでしょうか。

就活が違和感だらけだと思う部分はありますが、この記事を読む限り、就活の良い部分から目を背けているように見えるのです。
この記事を読んで賛同した人は、自分について考えることすら辞めてしまう事になりはしないでしょうか。

就活における「結果」の格差には、「機会」の格差と「努力」の格差の2つがあると思います。
機会の格差は是正されるべき。
でも、努力の格差は当然結果となって出てくるし、就職できる人/できない人の違いはここにもある。
結果として出てくる格差のどの程度が機会の格差によるものなのでしょう。
これらをごっちゃにして、不公平だ!と叫ぶのは簡単です。

ただ、それは本質を外しているような気がしてなりません。


だらだらと書いてしまいましたが、メッセージをまとめるとこうなります。

「就活で成長した」「良い経験になった」と感じられるのは一部の学生だけではなく、取り組み方次第で全員がその恩恵を受けることが出来る。それを恣意的な側面で切り取った意見やデータだけで否定的なメッセージを発するのは間違い。

以上、長くなりました。

投稿: yack | 2010年3月 9日 (火) 23時30分

>yackさん

コメントありがとうございます。
僕は基本的に匿名コメントというのは嫌いなので、実名をさらしてブログをやっている方には共感をおぼえます。

>就活の良い側面(定番?)についてどうお考えなのかを聞きたいです。

>自分の将来について真剣に考え、進むべき道について悩みぬく経験は、必ず自分の糧になります。たとえ夢が見つからなかったとしても。

僕の就活の「プラスの面」に関する見解は、本文の

>要するに、「「就活で成長した」とか「いい経験になった」とか言うやつがいるのは否定しないけど、そういうやつだけじゃないだろ」と言いたかったのです。それに対して、「そんなに悪いものじゃないよ」と言われてもいたちごっこにしかなりません。

のくだりで全てです。

就活を通して、自分の将来や生き方について考えたり、社会のことを知るきっかけになったり、そういうプラスの面は間違いなくあると思います。それは否定しません。

もしかしたら、本文では「夢のつかめるやつはいいけど、そうじゃないやつにとっては楽しくない」みたいな「夢、やりがい」、もしくは「楽しいやつもいるけど楽しくないやつもいる」という、人によって全か無か、といった問題のように読めるかもしれませんが、そうでもありません。細かい話をすれば、「就活にはプラスの面とマイナスの面があり、就活を通して総じてプラスの感情を持つやつもいれば、そうでもないやつもいる」ということだと思います。
(この文章は細かい話なので、シカトしてもかまいません)

しかし、就活に関しては「それ(プラスの面)ばっかり言われていて、やたら美化されている」というのが現状だと思います。実際は不満を持ってる人もいるのに。だから、僕らはそれに対して不満を言った。それだけです。

yackさんのコメントに、

>この記事を読む限り、就活の良い部分から目を背けているように見えるのです。

>「就活で成長した」「良い経験になった」と感じられるのは一部の学生だけではなく、取り組み方次第で全員がその恩恵を受けることが出来る。それを恣意的な側面で切り取った意見やデータだけで否定的なメッセージを発するのは間違い。


とありますが、むしろ今の就活に関する言説においては、「就活の<悪い>部分から目を背けて」、「恣意的な側面で切り取った意見やデータだけで、<肯定的な>メッセージを発」しているやつが多すぎるとは思いませんか。僕は大学にいて、そう思います。一人ぐらい僕のようにアンチを唱えるやつがいたって別に問題はないでしょう。

ちなみに、

>この記事を読んで賛同した人は、自分について考えることすら辞めてしまう事になりはしないでしょうか。

という部分については、「それはメディアリテラシーの問題であって、責任は負いかねます」っていう感じですね。別に僕はこのブログを読んだ人の人生選択の責任まで背負っちゃいません(事実誤認などがあれば、訂正はするつもりですが)。


で、ちなみに、就活にいい面があること自体は否定しませんが、それを在学中に学業をそっちのけでやらなければいけない理由はまったくありませんので、その意味で就活の「プラスの面」も現行のクソ就活システムを肯定するような要素とは言い難いのでは、と思います。


で、次に「機会の格差」と「努力の格差」の問題で、これは主にそうだと思いますが、現在の日本の社会は主に「働かざるもの食うべからず」的な発想で動いています。なので、「努力の結果」だろうが、なんだろうが働く機会を得られなかった人は、食えないわけです。

貧困の議論に関して、「貧困は自己責任じゃない」ということが言われて、それはその通りなんですが、もっとラディカルなことを言えば、「もし貧困が自己責任だとして、じゃあそいつは死ぬしかないのか」ということは考えるべきですね。

要するに、仕事が得られない人は食えないわけで、食えなきゃ生きていけないわけですから、「ちくしょう!生きていけないぞ!仕事をよこせ!」と言ったって、別にいいと思いますよ。


この国では新自由主義が流行る前から、個人主義的なストイシズムに覆われてますが(「自力で何とかしなきゃ」)、自力救済でなんともしがたいことをデモなどで社会に対してアピールするのは、別にとやかく言われるようなことではないと思います。大体、求人の数自体が足りてないわけですし。


あ、というか僕の意見はもっとラディカルな視点を内包しているので、「努力」とかいう概念について、そんなに重きを置いていません。「構造的な問題は指摘した上で、個人は努力しなければいけない」みたいな話には元々興味はありません。なんでこんなに「努力」しないと僕らの社会は成り立たないのか、僕には理解できませんよ。

投稿: O瀧 | 2010年3月10日 (水) 05時42分

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