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2009年7月16日 (木)

北大祭の「政治主張禁止」はダメ!ゼッタイ!

先月の頭、北大では北大祭が行われたのだが、今年の北大祭では「政治・宗教に関係する企画は禁止」なるルールが導入されて波紋を呼んだ。
大学いわく、

「昨年、特定の宗教団体が来場者に対して勧誘行為を行い、それに関して苦情を受けたので、その対策のため」

といったことが理由らしい。
これについては、北海道新聞で主に批判的な(「それってどうなのよ」といった)記事が何度か載せられていたし、また大学教員側からも法学部の山口二郎氏などを中心に批判の声が上がっていた。

結局、決定は覆らず、北大祭は終わった(僕は友人と勝手に空きスペースを使って踊りまくっていた)。
農学部自治会などは開催前からこの条項に激しく反対をしていたが、事態が変わらなかったために引き続き抗議をし、公開質問状を提出、さらに今月の23日にも元学長らと検証集会を行うという。
僕がこの「政治主張禁止条項」の情報を入手したのは大学祭直前か学祭の期間中だったと思うので特に反発しなかったが(休学していて大学に行っていないので情報をキャッチするのが遅かったのだ)、これは大いに問題がある、というかゼッタイ撤回するべきものだと思う。

なぜか。

もちろんまず第一には、言論の自由の上で問題である。

特に、大学というのは異なる意見を持つものが、その意見表明をし、それを元に議論を重ねることで、相互理解を深めたり、自分の考えを固めることを重視する場であるので、そこにおいて、政治主張を禁止するというのはもはや暴挙としか言いようがない。

大学の主張は「宗教勧誘を禁止するため」ということで、これについては大学内におけるカルト拡大の問題があるので、一理ある。しかし、そこから政治主張まで全て禁止するのはおかしい。これは農学部自治会が「論理の飛躍である」と指摘していることだが、一般的には最もな指摘である(ちなみに、「宗教とは何か」ということを突き詰めると、は政治思想=イデオロギーと宗教の区別は不可能である。なので、もし宗教を取り締まるのであれば、問題を起こした団体のみ禁止にすれば済む)

学生の自由を奪った大学には大きな罪がある。

しかし、おそらくこの問題の本質には、「政治主張とは何か」という問いが関連している。僕は思うのだが、「政治主張」として一般的に想像されるもの以外にも政治主張の形態は様々にありうる。にも関わらず、それらを許可し、一方の直接的な主張を「禁止」するのは非常に偏ったものになりうる。

どういうことか。

まず、これについて説明する前に、一般的に「政治主張」という言葉においていかなるものが想定されているかを考える必要がある。それはおそらく「一定の思想に基づいた発言をしたり、示威行動を行うこと」といえるだろう。つまり、「グローバリゼーション反対!」とか「憲法九条改正!」いった内容を口にしたり、何らかのメディア(例えばポスターやチラシ、ブログ、ラクガキなど)に載せて発信するという行為である。

しかし、実際には「政治主張」とはそうした枠に収まらない様々な形態を持っている。これには「思想とはなにか」ということから考えないといけない。

その際に参考となるのが、フランスの政教分離政策である。

フランスではフランス革命以来の伝統のためか、政教分離が厳格に行われているが、ここ近年はそれが強化される傾向にある。具体的には、学校などの公的な場所において、特定の宗教のシンボルとなるようなもの(イスラム教女性徒のスカーフ、大型サイズの十字架など)を身に付けることを禁止するといったもので、シラクが大統領をしていた2003年に実施された。しかし、これに反対してスカーフの着用などを行ったイスラーム女性が批判されるなどして、信教の自由と政教分離の概念が大きく取りざたされた。そしてこれは現在も行われている。

一見すると、こうしたルールの下ではいっさいの宗教的シンボルを追放することで、宗教的中立を保っているように見える。

しかし、ここではある事実が見逃されている。

それはそもそもフランスというのはヨーロッパ的な旧教(カトリック)の伝統・文化の上に建てられた国だということである。そこでは、意識的に宗教と繋がるものを排除しようとしても、彼らの生活の中には不可避的にそうした要素が(道徳などのレベルで)入り込んでいる。そのため、彼らが「一定の宗教を想起させるものを排除することで中立な空間を」と唱えたとしても、そこには必然的にカトリック的な道徳規範の残像が現われうるのである。
そして、そうしたカトリック的伝統に基づく道徳が前提となっている社会において行動するということは、そうした宗教的道徳規範を再生産するということでもある。

例えば、フランスのレストランにおいてイスラームで禁忌とされる豚肉料理を食べることは、宗教的に見て中立だろうか(厳格なムスリムにとっては、豚肉を平気で食べるフランス人の姿は耐え難いものであるかもしれない)。

つまり、「全て排除」の果てにあるのは政治的・宗教的な中立ではありえない。そこではその社会の多数派の価値観が再生産されているのである。そして、その再生産というのは、少数者の視点からすれば示威行動に他ならない。

つまり、誰もが(無意識的だとしても)何らかの思想に基づく行為(主張=メッセージの発信)を行っているのである。

作家の佐藤優はジャーナリストの魚住昭との対談の中で、

「当たり前だと思っていることこそ『思想』で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているものは『対抗思想』なんです」(『ナショナリズムという迷宮』 2006年)

という指摘をしているが、これも意味するところは僕が今述べたことと同様である。フランス人の持っている道徳規範や、それに基づく行為は「思想」の示威であるとは見なされないが、実際には宗教的思想であるし、それに基づいた行為である。しかし、イスラームのスカーフ着用は、フランス人にとっては明らかな「宗教行為」と映るので(「対抗思想」であると見なされ)禁止の対象となる。

つまり、思想とはどこにでもあり、主張とは誰もが(無意識に)行っていることなのである。

前置きが長くなってしまったが、ではそうした前提の下に北大の「政治主張禁止」について考えると、どのようなことがいえるだろうか。そこでは、まず一つに「政治主張禁止」というのが一つの主張であるということである。そのスタンダードがそもそもにして一定の思想の示威といえる。一つのルールの下に個人の行為を規制すること自体が、政治的中立であるはずがない(例えば、こうした大学などで発せられる政治的言説というのは往々にして政府などの権力者批判だが、そうした言葉が封じられること自体が政府にとって都合のいい状況を生み出している)。

しかし、もっと指摘したいことがある。

実は僕が今回の大学祭の中で、「コレはないだろ!」ともっとも強く思ったのは、工学部祭だった。北大祭は学部ごとに催し物があり(行ってない学部もあった)、工学部でも展示などが行われていた。その展示の中で、「原子力オープンスクール」というものがあった。

内容は見ていない。

だが、原子力について研究し、それについての実用化を目指すことを「是」として展示がされていたであろうことは間違いない。だとすれば、それは先に説明した原理からすれば「政治主張」にあてはまる。「政治主張」は、はっきりと形をとらずに、確かに北大祭の中にあったのである。

しかし、ではそこで「原子力反対!」などと言えば、それは「政治主張禁止」の対象として取り締まられるのである。

こんなバカげた話はないが、これこそ「政治主張禁止」の正体なのである。

実はこの長い前置きも、この工学部の一件を批判したいがためのものだった。
ともかく、今回の北大祭の規制は、大学としてあってはならないものであると考えるので、この問題の動向については注視したいと思っている。来年も同じような条項を作るつもりであれば、容赦しないつもりである。

P.S.

ちなみに、工学部のように「賛成」とか「反対」とかいうことをはっきりと口にせずに何らかのアピールが出来れば、それは認められるんだろうと思う。たとえば、全然普通のクレープ屋なのに、店の名前が「くたばれ自民党クレープ」(もちろんでっかい看板が出ている)とか、普通のコーヒー屋のフリして「コーヒーショップ・アムステルダム」とか名付けてみたり(分かる人には分かる)。もしくは、この「政治主張禁止」ということを皮肉って「政治主張禁止お好み焼き」をやってもいいかもしれない。スタッフは全員大きく「×」と書いたマスクをして店番をするとか(まぁお好み焼きである必要は全くないが)。

カルチュラル・スタディーズの文献を少しでも読めば分かるが、規制や禁止があるときこそ、人間の想像力はきらめくのである。希望はまだまだある。

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コメント

「フランスのレストランで豚肉を食べるのは??」ってあたりですごく納得した。
政治主張禁止はもちろんおかしいと思うけど、何が一番まずいかって、北大祭の実行委員達が打ち出した方針だってところだと思わん??学生が学生の行動規制…

投稿: ニゴウ | 2009年7月16日 (木) 16時11分

少し調べてみたのですが、この企画は10年以上行われてる恒例企画のようですね。
内容なのですが、大滝さんはおそらく原子爆弾や原子力発電に関するものだと思われていると思うのですが、そのような色は薄く、主として原子や放射線に関する講義や実験、加速器の見学などをオープンスクールという形で例年行っているようです(原子核分裂・融合の際に発生する放射線なども広義での原子力に含めたりすることがあります)。
この企画は純科学的な見地から催されたもののように思われますし、政治主張とは言いがたいのでは?子供からお年寄りまでが霧箱(放射線を簡単に視覚化できる装置です)制作をしたりする企画を政治主張とひとくくりに言ってしまうのは少し酷な気がするのです。

http://www.qe.eng.hokudai.ac.jp/aesj/open_school/2009/opsc21_jisshirep.htm
でも共催の欄に経済産業省北海道経済産業局という文字を発見してしまいました・・・ 笑

投稿: ほそだ | 2009年7月16日 (木) 23時28分

>ニゴウさん

そうなんだよね、禁酒方針のときもそうだったけど、「学生が自主的に」っていうのが変なんだよね。
なんか「天皇が日本の象徴なのは国民の総意に基づく」とかいうのと同じくらい違和感あるよねw

学生はもっと声を上げてもいいはず!

投稿: O瀧 | 2009年7月16日 (木) 23時44分

>ほそだくん

まぁ実際、内容見てないで批判するなってのはあるよねw

しかも僕自身科学(というのは自然科学だが)のことはよくわからないので、ピントのずれたような批判になってるかもしれないけど、僕が言ってるのは「全くの中立はありえない」(極端な話、何も声をあげない、何も行動をしないということも一つの政治的アクションになりうる)ということだから、工学部批判は間違いではないと思っております。

ともかく来年どうなるのか気になりますね。

投稿: O瀧 | 2009年7月17日 (金) 05時12分

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