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2009年5月14日 (木)

誰が格差を広げたのか--小泉を支持した人々について

現在、日本の社会はこれまでにない格差社会になってきている、とちまたでは言われている。

「派遣切り」によって、一気に職と住を失い、路上生活に転落する人々がいる一方で、大金を手に入れ、安穏と暮らす人々がいる。昨年末、ニュースなどで連日報道された「年越し派遣村」の様子は、金融危機などによって、いかに日本という国(政府や行政、そして企業が)が弱者に対して冷酷であるということを象徴的に示していた。

こうした状況にあって、積極的に新自由主義的政策を導入し、社会を「改革」した人々が批判の矢面に立たされるようになってきている。

その対象は、いわゆる「小泉改革」に関わった人々であり、その中心にいるのは、もちろん小泉純一郎・元首相と、竹中平蔵・元郵政民営化担当大臣である。

批判というのは、例えば「規制緩和が不安定な労働環境を生み出した」とか「社会保障費削減によって、障害者や病気になったものの生活が苦しくなった」とかいったということである。

そして、おそらくその批判自体は間違っていないと思う。こうした批判について、僕は大いに賛成する。 僕が、野宿者(ホームレス)の支援活動をしていて感じるのは、「当たり前に生活したい」と望んで、精一杯の努力をしても、それが叶わずに路上生活という状態に転落する人々がいるということである。それは、「自己責任」であるとか、「努力不足(甘えている)」といった言葉では片付けられないような、社会全体の抱える問題である。(「自己責任論」を信奉する人々の腹の立つところは、生活に困窮した人々が少しでも仕事を選ぶと「えり好みしている」というくせに、別の場面では「派遣という不安定な働き方を選んだこと自体が、自己責任だ」などということで、当事者の置かれた事情の複雑さを何も理解しないで吐かれる言葉に、現実的な意味は何もない。つまり、「現場を知らないくせに、人を傷つける言葉を偉そうに言わないでほしい」ということである)

だから、僕としては小泉や竹中のような人間が、今でもテレビや新聞などのメディアに堂々と露出していることが、正直なところ許せない、という感情がある。(構造改革の必要を積極的に提言し、「小泉改革」にも大きな影響を及ぼした経済学者の中谷巌は、その著書『資本主義はなぜ自壊したのか』において、「新自由主義は間違いであった」と「転向」して話題を呼んだ)

しかし、ではなぜ彼がそうした弱者切捨ての政策を推進しながらも、3度も政権を握ることができたのか。それは、単純にいって「国民が彼を支持したから」ということに尽きる。 僕の父は神奈川県で医師をしているのだが、小泉が郵政選挙に打って出たときに、「こんな弱者切り捨ての政策を進める小泉を支持するとしたら、日本の国民はおしまいだ」とうなだれていた。

父は、小泉内閣の「弱者切り捨てにつながる」として社会保障費削減に兼ねてから批判的だったのである。

しかし、選挙の結果は自民党296議席と歴史に残るほどの大勝となってしまった。 もちろん、その原因は単純ではない。よく言われているように、選挙の様子を面白おかしく報道したメディアの責任は計り知れないし、それを利用した小泉の戦略の巧みさもある。また、「既得権益にしがみつく抵抗勢力との戦い」といったフレーズに、金にまみれた汚い政治との決別を予感させるものがあったのは事実である。

しかし、である。

やはりこの国が民主主義国家としてやっている以上は、その選択の責任は国民に返ってくるのは当然である。ジャーナリストの魚住昭のように、選挙前から小泉の「改革」がどのような結果を招くかを危惧する声は間違いなくあった。

だから、「自己責任」という言葉は非常に嫌いではあるが、この状況に国民は責任をもたざるをえない。ここで「責任がない」というのであれば、それはまさに戦後の「無責任の体系」と変わらない状況である。どんな失敗をしても、「仕方なかったのだ」といっておしまいになってしまうだけであまりに前進がない。

日本の政治腐敗が指摘されることは多く、そのため政治不信に陥る人々は多い。しかし、翻って考えてみるべきである。 かれら政治家を選ぶ国民はどれだけ賢いのか、と。 自分がその政党の主張を支持したにもかかわらず、それを棚上げにして「格差が広がった」というのはあまりに無責任である(同じように、ブッシュを二度も選んだアメリカ国民は大いに反省すべきである)。

小泉・元首相は、次回の衆院選不出馬を決めているが、後継者として次男の小泉進次郎を選んでいる。政敵を「既得権益にしがみつく抵抗勢力」として批判した小泉だが、実はその「世襲」という権益を自分も享受し、また息子にも渡そうとしているのである(小泉家は純一郎の祖父の代から政治家)。

国民が、小泉自身の政策の結果や不誠実さを真剣に考えれば、後継者の進次郎は当選しないはずである。もし、ここで彼が当選してしまうとしたら、本当に日本の政治に未来はないだろう。

(非常に偉そうな文章で恐縮である。こんなことを書いたら「お前は誰に投票したんだ」と問われそうだが、僕自身は現在21歳で、今まで成人してから選挙を体験したことがない。郵政選挙のときは、17歳。だから偉そうなことがいえるのだが、この文章は半分は自分に「勉強しろ」と言い聞かせている内容だということは弁解しておく)

参考

魚住昭 『国家とメディア』(2006年、ちくま文庫) →著者が政治について書いた文章をまとめたもので、郵政選挙前から小泉がペテン師であることや、小泉の政策の中身について批判的に書いている。メディアリテラシーについて学ぶためにオススメ。

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